2018.10.21

大仁田厚、復帰じゃなくデビュー?
「還暦過ぎてもこんな生き方はある」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Nikkansports/AFLO

大仁田厚の邪道なレスラー人生(6)】

(前回の記事はコチラ>>)

 オレは今年4月に佐賀県神埼市長選に立候補して敗れました。だけど、「負けはスタート」なんですよ。オレの人生はいつもそうでした。

昨年10月に7度目の引退試合を行なった大仁田氏 全日本プロレスを引退してFMWを旗揚げした時も、FMWを追放されて新日本プロレスにひとりで乗り込んだ時も、どん底に落ちてから光が見えてくることがありました。だから、市長選で負けた時も「ここからがスタートだ」と思ったんです。人生は死ぬまでが勝負。年齢も還暦を過ぎて、文字通り人生をリセットするために、自分を見つめ直す一番いい時じゃないかなって思ったんです。

 神埼に移って、いろんな人とのつながりもできましたから、落選したからといって東京に戻ることはまったく考えていませんでした。神埼にそのまま住んで、米作りをはじめ今まで経験しなかったことにもトライしています。

 そんな時、プロレスリングA-TEAMのGMを務めるHASEGAWA選手と町田達哉広報が神埼まで来て、10月28日の神奈川県鶴見青果市場大会での復帰を要請されました。話を聞くと、今年7月に岡山県で豪雨災害に遭った少年から「オレの試合が見たい」という手紙が届いたということだったんです。

 彼らはその一通の手紙から、2日間に渡って復帰を直談判してくれた。でも、去年10月に「もうこれが最後。本当に引退です」と約束して、引退セレモニーにはおふくろまで来てもらいましたからね。復帰するつもりはなかったんですが……少年の思いと、こんなオレに頭を下げてくれた2人の姿に心が揺さぶられました。

 そこで、こんな思いが頭をよぎったんですよ。16歳からプロレスの世界に入って、ジャイアント馬場さんの付き人をやって……その後もずっと、オレはプロレスから生きるパワーをもらってきたなって。

 やっぱり、プロレスが好きなんです。だったら何と言われようと、好きなプロレスを貫こうって。結果として7回目の復帰と言われますが、自分では昨年の引退で「プロレスラー」としては一線を引いたつもりだから、世界初の「ボランティアレスラー」と名乗ってリングに上がることを決断しました。だから”復帰”ではなくて、オレの中では、ボランティアレスラーとしての”デビュー戦”なんです。