【国際プロレス伝】阿修羅・原は超人だ。大きな魚も頭から骨ごとガブリ (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

「阿修羅・原選手の絶頂期ですね」

 アニマル浜口は当時をそう振り返り、強さの秘密を分析する。

「『これが俺のプロレスだ!』と言わんばかりに、自分のプロレスのイメージを確立しました。頑丈な身体を武器に、ぶつかっていって、蹴っ飛ばして、殴って、投げる。小細工なんか一切なし。それをやり通しました。

 敵もやってくるけど、どんなに殴られても、胸が真っ赤になっても、極限まで我慢して最後に勝つ。雪崩式ブレーンバスターやヒットマン・ラリアットなど必殺技もありましたが、ブレーンバスターはスーパー・デストロイヤーに、ラリアットはスタン・ハンセンにやられて、それで身につけた技ですからね。他の日本人選手とはスケールが違う。まさに、超人でしたよ」

 だが、1988年11月、原は「私生活の乱れ」を原因に全日本プロレスを解雇される。

 1991年、天龍が設立したSWSでプロレス界に復帰し、さらに天龍とともにWARへ移籍。対抗戦の相手である新日本プロレスのマットに上がり、藤波辰彌や長州力らと戦った。そして1994年、現役を引退。

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