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【女子バレー】群馬グリーンウイングス中野康羽は、京都橘時代にビーチとの「二刀流」で全国へ 目標は先輩の和田由紀子 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

 中学は部活だけじゃなく、クラブチームでもプレーした。単純にうまくなりたかった。JOC(将来のオリンピック選手を発掘・育成する目的で、各都道府県で中学生を選抜)に選ばれ、練習会場だった京都橘への進学を決めた。強豪校で1年生から春高バレーを経験し、2年生の時にはベスト8まで勝ち進んだ。

「ひとつ上に(日本代表の)和田(由紀子/NECレッドロケッツ川崎)さんがいて。『最後は絶対に和田さん』って感じで、『みんなから頼られているエースってカッコいい』って尊敬していました。和田さんも高2ではライトをやって、最後はレフトになったので、自分もそういう感じで追いかけて目標にしていたし、今もしています」

 高2の時には国体のビーチバレーでも、京都代表として準優勝に輝いた。

「その年に、国体の少年・少女の部でビーチバレーが正式に初めて種目になったんです。それでビーチバレー専門の選手と、京都の高校のインドア選手を組ませたら面白いんじゃないか、となって。

 ペアを組んだ子が通う高校は山の中にあるんですが、敷地内に特設コートがあって。その子もうまくて、京都予選を勝ち抜いて、全国で準優勝しました。ビーチはオープンで陽気な人が多くて、気持ちが開放される感じがありましたね。駆け引きが面白いんですよ」

【一度はバレーを諦めかけた】

 京都では寮生活で、ほとんど毎日が練習だった。月に1日のオフは、先輩や同期と京都駅まで食事に出かけた。食事制限があってスイーツは食べられなかったが、ビュッフェでたらふく食べたという。

「朝錬、午後錬があって、女子高校生らしいことはしていなかったです」

 中野はそう振り返る。バレーに夢中だった。青春の日々だ。

 しかし、心が折れかけた時もあったという。京都橘は21年連続で春高に出場していたが、中野が高校3年時に予選の決勝で敗れたのだ。

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