斎藤佑樹と狩野舞子が今だからこそ語れる現役時代「プレー以外の部分で注目されるのは辛かった」「実力ないのに容姿だけだよねって」 (3ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by Saito Yuki

2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得した狩野舞子2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得した狩野舞子この記事に関連する写真を見る

実力を見てほしかった

斎藤 中学生で全日本代表候補に選ばれて、メディアやファンの人にすごく注目されることはなかった?

狩野 そこまでではなかったかな。寮生活だったから、学校と体育館くらいしか行くとこなかったし(笑)。たまに制服やジャージを着て電車に乗ると、「あっ狩野さんだ!」って言われることはあったけど......それこそ甲子園で優勝したあとは大変だったんじゃない? マスコミもファンもいっぱいだったでしょ?

斎藤 それまではまったくそういうことがなかったから、あらためて甲子園の影響力のすごさを実感させられたよね。

狩野 日本中が大フィーバーだったもんね。

斎藤 全日本に入ってからは、容姿淡麗なところもかなり注目されたと思うんだけど、そういう目で見られることに抵抗はなかった? オレだったら、甲子園で優勝したのに「ハンカチを使った人」で有名になって。野球選手として見られたいのに、"ハンカチ王子"と言われることにすごく抵抗があった。今はそれも受け入れているんだけど、そういうことについてはどうだった?

狩野 私も「中学生の狩野舞子」というのがあったし、容姿で注目されたこともあったけど、やっぱり実力を見てほしいという思いはずっとあったね。でも、その実力が追いついていないんだろうなっていうことも理解していたし、そこは葛藤だったね。

斎藤 そういう周りの声というのは聞こえてきた?

狩野 「狩野さんって実力ないのに容姿だけだよね」みたいな声とか、そういうのは本人に届くからね。すごく悔しかったけど、頑張ればそういう声もなくなるのかなと思いながら、ずっとやっていたかな。

斎藤 プレー以外の部分で注目されるって、やっぱりつらい部分があるよね。「見た目でがんばろう!」って思ったことはなかった?

狩野 現役の時はまったくなかった。試合はスッピンだったし、メイクするっていっても休みの日ぐらいで......だから、ちゃんとメイクとかするようになったのは、最近なのかもしれない。でも、根本的には何も変わってないよ。なんなら、中身はおっさんみたいな感じだからね。

斎藤 たしかに(笑)。

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プロフィール
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる

狩野舞子(かのう・まいこ)/1988年7月15日、東京都生まれ。15歳で全日本代表候補に選ばれ、一躍注目を浴びる。八王子実践高のエースとして春高バレーなどで活躍し、卒業後は久光製薬スプリングスに入団。2010年から2年間は世界最高峰といわれる海外リーグ(イタリア、トルコ)に挑戦し、2012年のロンドン五輪に出場。五輪後、久光製薬に復帰しセッターに転向するも、2015年は1年間休養。2016年、PFUブルーキャッツでスパイカーとして復帰し、2017-18年シーズンには、Vチャレンジリーグの準優勝に大きく貢献する。2018年5月、黒鷲旗での試合を最後に現役引退。引退後はこれまでの経験を生かし、さまざまな活動を展開している

◆【動画】斎藤佑樹×狩野舞子 同級生対談

動画撮影●大井沙紀 ヘアメイク●藤本希 スタイリスト●石川美久

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