錦織圭が5度目の五輪へ 初出場から16年...次代を担う後進は育っているのか
6月13日、日本テニス協会は「国際テニス連盟(ITF)より、錦織圭選手と大坂なおみ選手がパリ2024オリンピックの出場圏内に入っているとの通知がありました」と発表した。体調さえ万全であれば、錦織は5大会連続でオリンピックに出場することになる。
16年に及ぶオリンピック出場履歴は、錦織のキャリアの変遷そのものであり、日本テニス界の移ろいも克明に浮かび上がらせる。
錦織圭が銅メダルを獲得した2016リオ五輪も8年前 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 錦織のオリンピック初出場は、2008年の北京大会。当時18歳の錦織は、世界ランキングでは出場圏に届かなかったが、主催者推薦枠で代表に選出された。のちに錦織は、初のオリンピック出場の経験を、次のように振り返っている。
「試合前は特に感じなかったんですが、コートに立った瞬間、急に今までにないような緊張に襲われて。『これが国を代表するプレッシャーなのか』って思いました」
五輪初舞台の相手は、ドイツのライナー・シュットラー。かつてない緊張にしばられ、第1セットを失い、第2セットも2-5と敗戦まであと1ゲームに追い詰められる。それでも無我夢中で戦い、このセットを大逆転で奪い返した。
結果はフルセットの敗戦だが、少年から大人への過渡期を駆け抜ける若者にとって、この経験がひとつの通過儀礼となったのは間違いないだろう。錦織が全米オープンで当時世界4位のダビド・フェレール(スペイン)を破り4回戦へと大躍進したのは、オリンピックから2週間後のことである。
なお、この北京オリンピックでは、錦織が唯一の日本男子出場選手であった。
それから4年。ウインブルドンがテニス競技会場となったロンドンオリンピックでは、日本男子テニス界の状況は大きく様変わりしていた。
出場選手は、錦織に加え、添田豪、そして伊藤竜馬の3名。いずれもランキングで権利を勝ち取った、自力での出場である。
この3選手の出場は「錦織効果」と「オリンピック効果」の化学反応という意味でも、象徴的であった。
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。