NBA伝説の名選手:ドウェイン・ウェイド 「閃光の如く頂点へ駆け上がったヒートの象徴」

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

ヒートで3回の優勝を経験したウェイド photo by Getty Imagesヒートで3回の優勝を経験したウェイド photo by Getty Images

NBAレジェンズ連載17:ドウェイン・ウェイド

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第17回は、強豪マイアミ・ヒートを象徴する存在となったドウェイン・ウェイドを紹介する。

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【守備が評価されて大学へ】

 NBAのシューティングガード(SG)は、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)、コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)といったスーパースターたちがプレーしてきた花形ポジションのひとつ。

 今回お届けするドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)は、ブルズで1990年代に2度の3連覇を達成したジョーダンに憧れ、SGとして歴代屈指の実績を残してきた選手だ。

 ウェイドは1982年1月17日にイリノイ州シカゴ南部で生誕。父ドウェイン・シニアと母ジョリンダは彼が生まれて4カ月で離婚し、母が親権を引き取った。だがその母は薬物中毒者で、ウェイドはのちに「もしあのまま(母と)一緒にいたら、ドラッグを売ってギャングになっていたかもしれない」と明かすほど、危険な環境にいた。

 その後、姉のトラギルにも助けられ、ウェイドは9歳の時に父と暮らし始めたことで人生が好転。5歳から始めたバスケットボールも、9歳の時にブルズが初優勝(1991年)したこともあって本格的に打ち込んでいく。

 同州オークローンのリチャーズ高校時代のウェイドは、全米から注目を浴びるような選手ではなかった。だが着実に腕を磨き、マーケット大学のコーチ陣からはリバウンドやスティールなどディフェンス面で高く評価され、入学することになる。

 大学1年次は学業面の成績がNCAA規定の水準未満だったため、公式戦出場こそできなかったものの、プレーした2シーズンはチームのトップスコアラーとなり、3年次に迎えた2003年のNCAAトーナメント(全米大学選手権)ではチームをファイナル4(準決勝)へ導く立役者に。ケンタッキー大学とのエリート8(準々決勝)では、圧巻のトリプルダブル(29得点、11リバウンド、11アシスト)に4ブロックの大暴れで見せ場を作った。

 2003年のNBAドラフトへアーリーエントリーしたウェイドは、ドラフト前のワークアウトに成功したこともあって、本人も含めて1巡目全体7位指名権を保持していたホームチームのブルズから指名されると本人も含めて予想されていたが、5位でヒートから指名された。

 ガードとしては屈強な肉体(193cm・100kg)を誇るウェイドは、2003-04シーズンに平均16.2得点、4.0リバウンド、4.5アシスト、1.4スティールを残してオールルーキーファーストチーム入り。プレーオフではニューオーリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)とのシリーズ初戦で決勝弾のフローターをお見舞いするなど、ルーキーイヤーから強烈なインパクトを残した。

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著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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