NBA伝説の名選手:スコッティ・ピッペン ジョーダンとのコンビで歴史に残る「ブルズ王朝」を支えたオールラウンダー (3ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【2度目の3連覇、GMとの確執とその後】

1995年からはジョーダン(左)、ロッドマン(右)とのトリオで世界を魅了した photo by Getty Images1995年からはジョーダン(左)、ロッドマン(右)とのトリオで世界を魅了した photo by Getty Images 1993年にフェニックス・サンズを倒したことで、ピッペンとブルズはNBA3連覇を達成した。しかし、1993−94シーズンを前にジョーダンがメジャーリーグへの挑戦を理由のひとつに現役引退を表明。リーダーとしてブルズを牽引することになったピッペンは、ブルズが55勝27敗でプレーオフに進出する原動力になったが、カンファレンス準決勝でニューヨーク・ニックス相手に3勝4敗と敗れ、4連覇の夢を絶たれた。

 1995年3月にジョーダンがメジャーリーグ挑戦をあきらめてNBAに復帰すると、1995−96シーズンのブルズはNBA史上最高と言われるチームになる。ピッペンはジョーダンと再びワンツーパンチを形成しただけでなく、宿敵ピストンズにいたデニス・ロッドマンが加入したことで、ブルズは攻守両面で強さを発揮し、レギュラーシーズンを72勝10敗という当時の史上最高成績を残してプレーオフに進出。カンファレンス決勝で若きスター揃いのオーランド・マジックに4連勝したブルズは、NBAファイナルでスーパーソニックスを4勝2敗で倒して4度目のNBAタイトルを獲得したのである。

 1991年から3連覇を達成した時と同様に、ピッペンは攻防両面でチームの成功に欠かせない活躍を見せた。ユタ・ジャズを倒した1997年のNBAファイナルでは平均20得点、8.3リバウンドを記録して5度目のタイトルを獲得。1998年のプレーオフは腰の痛みに悩まされたが、ジャズを返り討ちして2度目の3連覇を成し遂げるまで、ピッペンは戦い続けた。

「体力的に大変だったが、何が懸かっているかはわかっていた。みんな、これが一緒にいる最後の機会になるかもしれないと知っていたし、チームメイトと一緒にいることを何があっても止めるつもりなどなかった。我々にはもうひとつやるべき仕事があり、それをやり遂げたんだ」

 1997−98シーズンのブルズは、"ラストダンス"と呼ばれた。ジャクソンHC、選手たちとクラウスGMの関係は、ブルズの強さと反比例するかのように、年月の経過とともに悪化。特にピッペンは1994年から契約の問題やトレードを要求するなど、最悪の関係に至っていた。ピッペンは1999年1月に契約&トレードでヒューストン・ロケッツに移籍し、ジョーダンも現役から引退したことで、ブルズの王朝時代に終止符が打たれた。

 ロケッツではアキーム・オラジュワン、チャールズ・バークリーとチームメイトになったが、プレーオフ1回戦でシーズン終了。バークリーとの関係悪化もあり、1999年10月にブレイザーズへ移籍。ブレイザーズでの1年目、ピッペンは経験豊富なリーダーとしてチームを成功に導く寸前まで進んでいた。レイカーズとのカンファレンス決勝では、敵地ながら第7戦の第4クォーターで15点のリードを奪ったが、この点差を守りきれずに逆転負け。ピッペンはこれ以降、プレーオフ1回戦を突破することができなかった。

 2003−04シーズンに古巣のブルズと契約したが、出場したのはわずか23試合。2004年10月5日、ピッペンは現役引退を発表。2005年12月9日、背番号33はブルズの永久欠番となった。

【Profile】スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)/1965年9月25日生まれ、アメリカ・アーカンソー州出身。1987年NBAドラフト1巡目5位指名(シアトル・スーパーソニックス)。
●NBA所属歴:シカゴ・ブルズ(1987-88〜1997-98)―ヒューストン・ロケッツ(1998-99)―ポートランド・トレイルブレイザーズ(1999-2000〜2002-03)―シカゴ・ブルズ(2003-04)
●NBA王座6回(1991〜93、96〜98)/オールNBAファーストチーム3回(1994〜96)/オールディフェンシブ・ファーストチーム8回(1992〜99)/スティール王1回(1995)/NBAオールスターMVP(1994)
●五輪代表歴:1992年バルセロナ五輪(優勝)、1996年アトランタ五輪(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 青木 崇

    青木 崇 (あおき・たかし)

    1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。

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