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NBA伝説の名選手:スコッティ・ピッペン ジョーダンとのコンビで歴史に残る「ブルズ王朝」を支えたオールラウンダー (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【ジョーダンの相棒として王朝を築く】

ピッペンはNBA優勝と五輪優勝を同年に2度経験した初の選手に photo by Getty ImagesピッペンはNBA優勝と五輪優勝を同年に2度経験した初の選手に photo by Getty Images 1990−91シーズンのピッペンは、平均17.8点、7.3リバウンド、6.2アシスト、2.4スティールを記録。ブルズがマークしたイースタン・カンファレンスで最高の61勝21敗という成績に大きく貢献すると、宿敵ピストンズとのプレーオフ・カンファレンス決勝では、得点とリバウンドで2度、得点とアシストで1度ダブルダブルを達成。ブルズが4連勝でNBAファイナルに進出する原動力となったピッペンは、ピストンズとの戦いをこう振り返った。

「勝ったことは単にファイナルに進出したという以上の意味があった。何年もの間、彼らが我々の前に立ちはだかっていた精神的、肉体的なハードルを乗り越えたということだ。それは我々の戦い方で、『我々は、お前たちが以前いじめていたチームとは違う』と言えるものだった」

 キャリア初のNBAファイナルは、経験豊富なロサンゼルス・レイカーズ相手にホームでの第1戦を落としたが、第2戦から4連勝。1試合平均31.2得点、11.4アシストを記録したジョーダンがNBAファイナルMVP選出になったが、ピッペンは第2戦以降、レイカーズの大黒柱であるマジック・ジョンソンに対するディフェンスですばらしい働きをみせ、優勝を決めた第5戦では32得点、13リバウンド、7アシストの大活躍。ジョーダンはピッペンをこう称賛した。

「スコッティは、信じられないほど素晴らしかった。彼は得点し、リバウンドを奪い、マジックをディフェンスするなど、すべてのことをやった。彼があのレベルでプレーしなければ、我々がファイナルに勝つことは不可能だった」

 1991−92シーズンのピッペンは21点、7.7リバウンド、7アシストまで数字を伸ばし、レギュラーシーズンMVPの得票ポイントで9位にランクイン。ポートランド・トレイルブレイザーズとのNBAファイナルでは、相手の大黒柱であるクライド・ドレクスラー相手のディフェンスで存在感を発揮。第4クオーターに15点差を逆転しての勝利で2連覇を成し遂げた第6戦では、ドレクスラーをフィールドゴール24本中8本のみの成功と苦しめた要因になる一方で、オフェンスでも26得点とすばらしいパフォーマンスを見せた。

「ポートランドが手強い相手だとわかっていたけど、勝てる自信はあった。私の仕事はドレクスラーへのディフェンス、リバウンド、マイケルのプレーを準備することなど、チームに必要なことは何でもやることだった。2連覇は最初の優勝がまぐれでないことの証明だ」

 こう語ったピッペンは2連覇達成から数週間後、世界中を魅了したドリームチームの一員としてバルセロナ五輪で金メダルを獲得。4年後のアトランタ五輪で2度目の金メダルを獲得したことで、同じ年にNBA制覇と五輪金メダル獲得を2度成し遂げた初めての選手となった。

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