最年少二冠SF&スーパーGT王者・宮田莉朋がついに世界へ「背中を押してくれたトヨタ会長モリゾウさんに感謝」 (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

 スーパーGTはひとつに絞るのは難しいですが、開幕戦・岡山でしょうか。予選で下位に沈んでしまいましたけど、相方の坪井翔選手が第1スティントでトップまで追い上げてくれて、雨に強いミシュランタイヤ勢にも対抗して2番手で僕にバトンをつなげてくれました。

最後は残念な結果(ピットミスによりコースサイドにストップ)でしたけど、あのままレースをしていれば確実にポイントを獲れたレースでした。でも、あれがあったから、翌レース以降はスーパーフォーミュラも含めてピットのミスはなく、みんなが確実に作業をこなすことを意識してくれるようになりました」

── 2024年から海外のレースに挑戦することになります。改めて日本のレースカテゴリーを経験してきたなかで、今後につながる「収穫」はなんでしたか?

「基礎的な部分で勉強になったなと思います。特に覚えているのが2018年の全日本F3。当時は坪井選手がチームメイトで、基本的に彼がクルマのセットアップをやっていました。そこで出来上がったものに僕が乗ってタイムを出しに行く、という感じでした。

 その状況下で、クルマの走らせ方やコンディションの変化に対して、どう対応していくのか。そういう基礎的なことをずっとやらされていました。当時は自分でセットアップできずに『なんだよ!』と不満を抱えながらやっていましたけど、与えられたクルマを乗りこなさなければいけない経験は、今でも活きているなと感じています。

 上のカテゴリーに行くと、練習走行の時間が限られています。その短い時間でクルマ側の妥協点をなくし、直しきれないところはドライビングでなんとかカバーする──それができるようになったのは、当時のTOM'Sのやり方が活きているのかなと思います」

── 宮田選手は以前から「世界に行きたい」と公言してきましたが、具体的に世界を意識し始めたのは、いつ頃ですか?

「2015年ですね。その前の年に全日本カート選手権のKFクラスでチャンピオンになって、この年はタイヤ開発がメインで同じクラスに参戦していました。

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