MotoGPヤマハから漢カワサキへ移籍。中野真矢の腹の据わった走り (6ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 前年の不調からも、少しずつ調子が戻ってきた。そして、夏休み明けに第12戦チェコGPを迎えた。このレースが、中野にとって大きな転機になった。

「ウィークの最初から調子が良くて、自分でもこれ以上ないくらいに走れていました。決勝も100パーセントの力を出し切った。なのに、結果は4位。ホンダの常勝マシンで、この実力チームで、しかも全力を出したのに、表彰台を獲れずに4位だった。『これはもう、MotoGPでは責任を取るしかないな......』、そう思いました」

 結局、この年を最後に中野はMotoGPを去り、翌09年はSBK(スーパーバイク世界選手権)へと戦いの舞台を移す。しかし、シーズン中の負傷が原因で力を発揮できず、一年を戦い終えて現役からの引退を発表した。

 現在の中野真矢は、モーターサイクルアパレルブランド「56 Design」を経営するとともに、若い選手を発掘・育成する「56Racing」で地方選手権などに参戦。そこで育ったライダーたちを、さらに上のクラスへ押し上げる活動を行なっている。56Racingの卒業生には、スポット参戦ながらすでにMotoGPのMoto2クラスを経験した選手がいる。また、今シーズンは欧州のFIM CEV レプソル選手権や、全日本ロードレースにエントリーする選手もいる。

「自分の若い頃を振り返ると、指導者に恵まれ、いろんな方々に支えられてプロになることができた。そう思って周囲を見回してみると、ダイヤの原石だけど、本人はどうやればいいかわからないという子たちがゴロゴロいるんです。そんな彼ら彼女らに、道を示して、次のステップへ押し出してあげるのが今の自分の役割なのかな、と思います。やる以上は人ひとりの人生がかかっているので、こちらも真剣ですよ。表彰台に上がろうものなら、うれしくて泣いちゃってますもんね。自分の現役時代には、表彰台で泣いたことなんて一回もなかったくせに(笑)」

【profile】
中野 真矢 Nakano Shinya
1977年、千葉県生まれ。1987年に全日本ポケットバイク選手権で優勝。98年、全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオン獲得後、99年にロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦。2000年には同クラスで年間ランキング2位となる。01年より最高峰クラスにステップアップし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど活躍。09年に現役を引退。現在はモーターサイクル関連のブランド運営のほか、若手の育成などに尽力している。

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