『ウマ娘』でも再現されている宿命 メジロマックイーンが「世紀の対決」で見せた一門の集大成 (2ページ目)
祖父メジロアサマ、父メジロティターンは、ともに天皇賞を制しており、文字どおり"メジロの伝統"が内包された血統の持ち主であるメジロマックイーンは、関係者の期待に応えるように長距離戦で抜群の強さを見せつける。
まずはデビューした1990年、4歳(現3歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)の秋に、「牡馬三冠」の最終戦となるGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)を制した。
そして翌1991年には、武豊騎手を背にして悲願であるGⅠ天皇賞・春(京都・芝3200m)を難なく快勝。前人未到となる、父仔三代の天皇賞優勝を決めたのだった。
期待どおりの活躍を見せたマックイーンだが、この馬がステイヤーとしての資質を余すことなく体現したのは、連覇を果たした1992年の天皇賞・春だろう。1歳下のプリンス、トウカイテイオーとの対決で見せた圧倒的な強さは、メジロが積み重ねた血統における、ひとつの到達点だったのではないか。
トウカイテイオーは、七冠馬である"皇帝"シンボリルドルフの仔として生まれ、牡馬三冠のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)と、GⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)を完勝。その後は故障に見舞われて三冠達成はならなかったものの、久々の復帰戦となった前走のGII大阪杯(阪神・芝2000m)を持ったままで勝利し、天皇賞・春に挑んできたのである。
長距離界の至宝メジロマックイーンと、若きトウカイテイオーの対決は注目を集めた。鞍上はマックイーンが武豊騎手、テイオーが岡部幸雄騎手という、東西のトップジョッキーが務めることで、一段と盛り上がりを見せた。
初の3200m戦に挑むテイオーについて、岡部騎手が「地の果てまで駆けていける」と強気な姿勢を見せれば、武豊騎手もマックイーンについて「こちらは天までも駆けられる」と応じた。いつしかこの一戦は「世紀の対決」と呼ばれていた。
春の京都に地鳴りのような歓声が鳴り響いた当日。単勝1.5倍の1番人気に推されたのはトウカイテイオー。メジロマックイーンは単勝2.2倍の2番人気だった。
ゲートが開くとマックイーンは先行集団に、テイオーはその後ろにつけた。長距離は自分の庭と言わんばかりに、マックイーンは落ちついて追走。自ら持久戦を仕掛けるかのように、少しずつポジションを上げていく。無論、テイオーもその後ろを一定の間隔で追走した。
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