【競馬】手嶋龍一氏が語る、ハープスター凱旋門賞挑戦の陰に (3ページ目)

  • 土屋真光●取材・文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • 千葉 茂●photo by Chiba Shigeru

 ノーザンファーム陣営はオークスの後、札幌記念(8月24日、札幌競馬場・芝2000メートル)を経て凱旋門賞に挑むというプランを採った。現地でステップレースを遣う重要性がよく言われるが、あえて北の大地から凱旋門賞に挑む路線を歩んだのには大きな理由があったという。

「ひとつの要素は爪だと思います。オークスで落鉄してしまったように、蹄鉄が履きにくい爪なのでしょう。オークスでは落鉄がなければ、勝ったも同然と勝巳さんも言っていました。落鉄の影響で、馬体のバランスが少し崩れてしまい、牧場に戻ってきた時にはかなり疲弊していました。しばらく休養させたのですが、なかなか調子が上がらない。ギリギリまで牧場での立て直しが続きました。札幌記念を使わなければ、ぶっつけでは本番は厳しいですから。やはり足元は気懸りでしたね。関係者の間には、ずいぶんと葛藤がありました。不安を抱えての出走でしたが、われわれの心配を吹き飛ばす素晴らしい走りを見せてくれました」

 これまでのハープスターのイメージを大きく覆す、早めに自力で動いての圧勝に感動したという手嶋氏だが、さらに彼女にびっくりさせられたのはその後だったという。

「レースが終わって、勝己さんが『すぐに牧場に戻そう』と言い切りました。ここまではっきりと言うのは、比較的めずらしいんです。そして、牧場に戻ってきたら、あれだけバランスに不安のあったハープスターが、なんとレースの前よりも馬体に張りがあって良くなっているではありませんか。名馬とはそういうものなのでしょう」

 むしろ、フランスでの前哨戦を戦うために、早々と現地に発っていれば、こうはいかなかったはずだ。結果としてハープスターにプラスに働いたことは間違いなさそうだ。さらに手嶋氏は札幌記念の興味深いエピソードを披露してくれた。

「レース直前に、川田雅将騎手、松田博資調教師、勝己さん、私の4人だけになるタイミングがありました。川田騎手にとっては、札幌記念の結果次第では本番で果たして騎乗を委ねられるのかという心配も拭えなかったのでしょう。コンディションに一抹の不安はあるし、これまでのような直線一気の追い込みでは札幌の直線は短すぎる。どうしましょうか、という表情で川田騎手が松田調教師を見たのです。まあ、行ければ行けばいいということでした。二人が勝己さんのほうを振り返ると、彼はひとこと、『いやあ、気楽に乗ればいいよ』とだけぽつりと言いました。二人を見送ったあとで、『馬は強ければ勝つよ』。吉田勝己というホースマンらしい一言だと思いました。できれば日本人ジョッキーで純国産の凱旋門賞の勝利をという声も聞きます。でも、いまの日本の競馬に課せられている責務は、そういったロマンをはるかに超える、厳しい障壁を乗り越えて栄冠をつかみとることにあります。そんな手綱を彼に託したということなのです。川田騎手もよくわかっているはずです」
 
「強ければ勝つ」、この言葉は手嶋氏にとっても大きな支えになっているという。

「航空会社のストの影響で、フランスへの直行ではなくオランダ・アムステルダムから陸送になるアクシデントもありました。大きなレースでは、多かれ少かれ、そういうことはあるでしょう。『馬が強ければ勝つ』というのは、こういったアウェーの環境を乗り越えて勝つということなのです」

 幸い、輸送に起因しての大きなトラブルもなく、ハープスターをはじめとした日本馬3頭は、現地で順調に調整が積まれている。

「今年は抜けた馬がいなく、史上稀に見る接戦です。悲願として挑むに値する世界一のレースにふさわしい。数限りなくある障壁をひとひとつ乗り越えて、強い馬が勝ったというレースをしてくれることを祈っています。勝つ条件は揃っている」

 日本競馬悲願の凱旋門賞(10月5日、フランス・ロンシャン競馬場・芝2400メートル)制覇へ、もやのように目の前を覆っていた不安要素が誰もが予想をしなかった形で取り除かれ、一気に視界が開けた。

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