2014.02.16

【競馬】素質に惚れた生産者が初めて別れを惜しんだ「若駒」

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 何はともあれ、幼少時のディープブリランテは順調に成長を重ねた。そして2010年春、パカパカファームからノーザンファームへと引き渡されることになった。ディープブリランテを運ぶ馬運車は、スウィーニィ氏が運転したという。

「運転している最中、寂しさも感じましたが、それ以上にうれしさがありました。第一にアクシデントなく、ここまで順調に育てられたからです。そして、素晴らしい牧場に預けられるということが大きかったですね。スタッフの技術が高いのは言うまでもありませんから、『この先、チャンスがあるな』と思いました。だから、ディープブリランテを手放す寂しさより、うれしさのほうが勝っていました」

 ノーザンファームまでの道すがら、スウィーニィ氏はディープブリランテの明るい未来を思い描きながら、終始喜びを噛み締めていた。

 翻(ひるがえ)って、伊藤氏の心持ちはスウィーニィ氏とは正反対だった。ディープブリランテの引き渡しのときは、「寂しくて仕方なかった」という。

「自分が牧場で働き始めてから、そんなふうに思ったのは初めてでした。(その後、ディープブリランテを管理する)矢作芳人調教師が絶賛していたこともありますが、自分なりにこの馬の"すごさ"を感じていましたから。生産馬を見送るときは、いつもなら無事に送り出せたことでホッとするのですが、あのときばかりは、正直寂しさのほうが上回っていましたね」

 過去に何頭もの馬をパカパカファームから送り出している伊藤氏。にもかかわらず、ディープブリランテとの"別れ"だけは、容易に耐えられるものではなかったという。そんなエピソードからも、ディープブリランテが競走馬の頂点に立つだけの"器"だったことがうかがい知れる。

 さて、こうしてデビューへ向けてノーザンファームで育成されていくことになるディープブリランテ。次回からはいよいよ、デビュー戦を迎え、レースで躍動していくディープブリランテに迫っていく。

(つづく)

   ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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