サッカー界の二大スーパースターが10代の「若手」だった頃 ロナウドは快活に語り、メッシの声はとても小さく... (4ページ目)
【メッシの若手時代】
2年後の2005年には、そのロナウドの永遠のライバルとなるアルゼンチン人の若手を間近で見ることもできた。もちろん、リオネル・メッシである。
2005年のワールドユース選手権(現U-20W杯)でのことだ。
この年のワールドユースはオランダで開催され、同時期に隣国ドイツではコンフェデレーションズ杯が開催されていたので、2枚のADカードを首からぶら下げて、オランダとドイツを行ったり来たりしながら観戦していたのだが、ワールドユースの目玉はなんと言っても、すでにバルセロナで名声を築き上げつつあったメッシだった。
ちなみに、この大会には本田圭佑や平山相太がいたU-20日本代表が出場しており、グループリーグではなんと0勝2分1敗、勝点2という成績で2位に入ってラウンド16に進出した。
さて、アルゼンチンは1979年の第2回日本大会でワールドユースに初優勝。1995年のカタール大会で2度目の優勝を飾ると、以後、2007年カナダ大会までの7大会中5大会で優勝と、この年代では圧倒的な成績を残しており、パブロ・アイマールやハビエル・サビオラといったスターFWを毎回擁していたが。メッシへの期待感はさらに大きなものだった。
そして、オランダ大会でもアルゼンチンは準決勝で宿敵ブラジルを破り、決勝では2対1のスコアでナイジェリアを破って優勝。2得点とも決めたのはメッシだった。メッシはゴールデンボール賞(MVP)とゴールデンブーツ賞(得点王)もダブル受賞。まさにこの大会の主役だった。
準決勝のあとだったか、ミックスゾーンでの囲みで、僕は最前列でメッシの話を聞く機会があった。僕はスペイン語はある程度は理解できるのだが、メッシの声はとても小さかったのでほとんど聞き取れなかった。それで、体も小さいし、病気(成長ホルモンの分泌異常)のことも聞いていたので、果たしてトッププロとして長くプレーできるのだろうかと心配になってしまった。
今から思うと、まったく外れな心配だったのだが......。
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