久保建英の年内最終戦は「謎の采配」で不発 左サイドでの起用にはレアル・ソシエダの文化的背景があった (2ページ目)
【左利きが左サイドで起用される背景】
2012-13シーズンにチャンピオンズリーグ出場を勝ち取ったチームも、右に右利きのシャビ・プリエト、左に左利きのアントワーヌ・グリーズマン、中央に長身でヘディングを得意としたイマノル・アギレチェを擁していた。
その後、ラ・レアルは、ミケル・オヤルサバルのようにどのポジションでもできる選手や、アンデル・バレネチェアのように左サイドを得意とする右利きのアタッカーも輩出するようになった。受け継がれてきた伝統のスタイルは、ダビド・シルバのような天才との融合もあって革新された。ただ、久保が来るまでの右サイドアタッカーは、やはり右利きのポルトゥ(クリスティアン・ポルトゥゲス・マンサネラ)だったのである。
「ウファルテの再来」
加入当初、左利きアタッカーというだけで、久保をそう崇めるメディアやオールドファンも少なくなかった。ウファルテはクラシックなウインガーとして当時は随一だったが、久保はプレーメイクも、自らゴールもできるモダンな選手で、連係による広がりがあるスケールの大きなアタッカーと言える。それぞれ、持ち味が大きく異なる。
しかしバスクという公式に当てはめれば、久保が左サイドで起用されるのは、その是非はともかく、そうした文化的背景があるのだ(ちなみにビジャレアル時代のウナイ・エメリ監督も、ラ・レアルの下部組織出身者だ)。
セルタ戦で、イマノル・アルグアシル監督は、後半から1トップに長身のアイスランド代表FWオーリ・オスカールソンを投入していた。久保を左サイドでクロッサーとして利用する狙いだったのだろう(その証拠にオヤルサバルが1トップの時は、基本は右サイドで起用している)。伝統への回帰というのか。この一戦に限って言えば、采配は失敗だったが、左サイドから久保の1本のクロスが合うことも考えられた。また、それによって久保が右サイドに移った瞬間、さらに混乱も起こせたかもしれない......。
2 / 3