メッシ、沈黙を破って敵にも審判にも噛みつきまくり。その変貌がアルゼンチンを奮い立たせる (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【これまでは何をされても黙っていた】

 そして極めつけは試合前の監督会見だろう。ファン・ハールが「メッシはもう走れない」「PK戦になったらこっちが有利」など言ったことが、彼の怒りに油を注いだ。

 さらに試合後の通路でのインタビュー中、試合でさんざんメッシを挑発していたオランダのボウト・ベグホルストが通りかかると「QUE MIRAS BOBO, ANDA PARA ALLA BOBO(何見てんだ、バカ。あっちに行けよ、バカ)」と、テレビカメラの前であるにもかかわらず、声を荒げた。

 ちなみにこのフレーズは今、アルゼンチンで大ブームになり、Tシャツやカップなどのグッズ、チャット用のスタンプなどに多数登場している。

 こうした騒ぎは、サッカー選手の周囲ではよくあることだ。しかし、それがメッシとなると別だ。私たちがこれまで知っているメッシとは明らかに違う。

 メッシはこれまで、何をされても、何を言われても、黙っていることのほうが多かった。寡黙がトレードマークだった。2016年にスポンサーの「ゲータレード」がメッシのビデオを作ったが、そのタイトルはずばり「メッシはあまりしゃべらないというが......」だった。

 寡黙であることは、メッシにとって一種の防衛手段でもあったと思う。「ラ・プルガ」(スペイン語で「ノミ」)と呼ばれていたメッシは本当に小さな少年で、バルセロナに来た時はまだ13歳だった。異国のビッグクラブにたったひとりで放り込まれた少年にとって、自分を守るすべはプレーしかなかっただろう。プレーだけは裏切らない。こうして彼は口を閉ざした。

 ただ、重圧を言葉でも態度でも表せない苦しさもあるのだろう。バルセロナ時代には試合中に吐いてしまうことがたびたびあった。パリ・サンジェルマン(PSG)でもメッシは「感情を見せない男」と呼ばれている。これまでメッシが感情を露わにしたのは、バルセロナの退団会見で涙を見せた時ぐらいだったかもしれない。

 アルゼンチンのロッカールームでは、試合に勝つとよく、ブラジルをからかう歌を歌う。ブラジルとまるで関係ない試合でも、同じように歌う。仲間がこの歌を歌い出すと、メッシはこれまで「やめろよ」と言って制止していた。少なくとも参加はしなかった。それがオランダ戦の試合後は、メッシは自らこの歌を歌っていた。

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