「サッカーの母国」のDNAを捨て近年好調のイングランド代表。カタールW杯で「自分たちらしさ」を取り戻せるか (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

長い年月を要した伝統の否定

 振り返ってみると、この時に誤りに気づいていればその後の迷走はなかったかもしれない。ハンガリーが史上最強クラスだったのは確かだが、イングランドは他国とは異質なサッカーをしていて、技術と戦術で後れを取り始めていることを、このタイミングで認めるべきだったのだ。

 しかし、そうはならなかった。ハンガリーに敗れたのはベテラン選手が多かったためと結論づけ、ブダペストのリターンマッチには若手を送り込んだ。体力面で挽回を図った結果は1-7という惨憺たるものだった。一部には目を覚ました人々もいた。しかし、大方はなかったことのようにやり過ごした。

 1966年に自国で開催されたW杯で初優勝すると、イングランドは伝統的なプレースタイルへの自信を回復する。育成でも「ダイレクト・プレー」(手数をかけずシンプルにゴールへ向かうプレー)の推奨など、他国とは異なる独自路線の追求に拍車がかかった。その結果、1974、78年のW杯予選敗退という暗黒時代に突入してしまう。そこでようやく何かが間違っていたことに気づいた。

 そこからは「伝統」との戦いになった。他国並みの「普通のサッカー」ができるようになったのがようやく1980年代の後半だった。1990年イタリアW杯ではベスト4、その後多少の揺り戻しも経験しながら、2018年ロシアW杯でもベスト4進出を果たした。

 2014年、イングランド協会は「イングランドDNA」という指針を打ち出している。各国にこうした流れはあり、日本サッカー協会も先ごろ「ジャパンズ・ウェイ」を詳細に説明する文書を発表した。

 うがった見方かもしれないが、イングランドがわざわざ「DNA」としているのは自分たちの原点を見失っているからではないか。自らの伝統、DNAを否定したことが、現在につながった。しかし一方で、自分たちが何者なのか問い直さなくてはならなくなっているのではないか。

 1872年にイングランドはスコットランドと初の公式国際試合を行なった。ここからの10年間に両者は11回対戦しているが、スコットランドが7勝2分2敗と圧倒。ショートパス戦法を確立したスコットランドに、イングランドのロングパス戦法は太刀打ちできなかった。

 その後、世界に普及していったのも主にスコットランド方式である。それでもイングランドはロングパス戦法を捨てなかった。ハンガリーに大敗したぐらいですぐに変わるはずがないのだ。

 ルールを制定し、協会を設立した時、納得できずに退会した勢力が後にラグビー協会を創る。意見が分かれたのは手を使えるかどうかではなく「ハッキング」を認めるかどうかだった。ハッキングとは攻撃側の選手の脛を蹴って撃退する行為で、サッカー協会はそれを認めず、それでは男らしさが減退すると反対した人々が退会した。

 つまり、それまでハッキングは行なわれていて、サッカーはそうした荒々しい競技だったわけだ。格闘技に近い、肉弾戦ありきのスポーツ。それが原点で、スコットランドに負けようがハンガリーに大敗しようが、そう簡単には変えられない。それが好きでやっているわけで、まさにDNAだった。

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