悪童ロマーリオは政治家になっても忖度なし。W杯もFIFAも斬りまくる (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 政治家としてのモットーを、カラーゼはこう語る。

「サッカーでは勝つこともあれば負けることもあるが、政治では負けてはならない。間違った判断は多くの人を不幸にするからだ」

 サッカー選手と政治家の距離が短いのは、欧州より南米だろう。

 ブラジルはサッカーが宗教のように思われている国だ。有名選手は絶大な人気を誇り、政治家になる例は多い。神様ペレは引退後スポーツ大臣になったが、これはわざわざ政府が彼のために作ったポストだった。ジーコも政府でスポーツ関係の仕事をしたことがあり、1990年にはスポーツ省の特別書記を務めた。

 そして現在のブラジルで、政治家として一番成功しているのはロマーリオだろう。

 169センチという小柄な体格のため、「バイシーニョ(ちびっこ)」と呼ばれたロマーリオは、あらゆる意味で型破りなFWだった。卓越したテクニック、俊敏な動きで相手DFを翻弄、彼にボールが渡った時点で敵はゴールを覚悟しなければならなかった。

 クラブではヴァスコ・ダ・ガマ、PSV、バルセロナなどでプレー。さまざまなリーグや大会を含めると、生涯のうちに26回得点王となった。1994年のW杯にはベベットとコンビを組み、6試合で5ゴールを決めて、ブラジルを優勝に導いた。2007年はペレに並ぶ1000ゴールを達成している。

 すごいのはそのプレーだけではなかった。ピッチの中でも外でも、彼は多くの騒動を巻き起こし、「史上最強のバッドボーイ」の異名をとった。バルセロナ時代には、試合中に対戦相手セビージャのディエゴ・シメオネの顔面を殴る、中傷した相手サポーターを襲う、やる気のないチームメイトにブチ切れる......と、武勇伝にはこと欠かない。

 当時のバルセロナ監督のヨハン・クライフに、リオのカーニバルに参加するために「2日間の休みがほしい」と堂々と申請。あきれたクライフが「試合で2ゴール決めたら休みをやろう」と答えると、ロマーリオは本当に最初の20分で2ゴールを決めてしまい、旅行の準備でもするからとでもいうように、交代を要請した。

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