「日本人なんていらない」の概念を覆す。奥寺康彦はブンデスリーガで大活躍

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

――奥寺さんの獲得につながった要因や、きっかけみたいなものはあったのですか?

「合宿も終わりの頃に、ケルンのスタメン組とサブ組で紅白戦をしたんですよ。その時二宮さんに呼ばれて『お前はスタメン組の左サイドのFWでプレーするからな』と言われて。びっくりしましたね」

――プレーの内容は覚えていますか?

「結構周りの選手が僕のほうにパスを出してくるんですよ。今思えばバイスバイラー監督から選手たちに話があったんじゃないかなと。走れば、いいパスがどんどん来るんです。だから、自分の持ち味であるスピードも生かせた。センタリングもシュートもして点も取りました。やっていて楽しかったですよね」

――それだけパスが回ってきたということは、プレーしながらもなにかしら意図を感じたんですね。

「言ってみれば、あれは移籍のための試験だったと思いますね。あの時二宮さんに『この試合は試験だから』と言われたら、緊張して硬くなっていたかもしれない(笑)。でもそこはサラッと『スタメン組でプレーする』とのことだけだったので、いい緊張感とリラックスしたなかでプレーできました」

――獲得のオファーはどんなタイミングであったのですか?

「合宿が終わってドイツから日本に帰る前に、突然二宮さんに呼ばれて、『ケルンがお前を欲しがっているけど、どうする?』と言われました」

――すぐに行く決断にはならなかったそうですね。

「もちろんそこで即答はできません。(当時の所属の)古河電工に帰って相談しなければいけないですから。ただ、悩みましたよ。何をいちばん悩んだかというと、言葉の問題ですよね。その頃はもう結婚して子どももいて、ちょうど嫁さんは2人目の子がお腹にいるタイミングでした。

 ケルンからは、子どもたちも一緒に来いと言われていたんです。それで、もし子どもが病気になった時に言葉がわからなかったらどうしようとか、ネガティブなことばかり考えていました」

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