イブラヒモビッチを虜にした凄腕代理人の「交渉術」と「予知能力」 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ライオラが帰る素振りで立ち上がったので、トゥーバンもあとに続いた。会長は、まあ座ってくれと言った。それから20分間で、ライオラは契約を交渉し直した(およそ考えつくかぎりの追加条項を入れた)。トゥーバンはこの契約が「私の将来を救ったと言っていい。私がデ・フラーフスハップでプレーすることになった4年間だけでなく、残りの人生すべてを救ってくれた」。

 このエピソードは、ライオラの仕事の原則のひとつを表している──どんなに地味な移籍でも、誰かの人生を変えることがある。

 ライオラはトゥーバンに、ネドベドのような選手になれとけしかけたが、それは無理だった。デ・フラーフスハップでパッとしない選手生活を送ったあと、彼は25歳で引退し、いそいそと大学に通いはじめた。

 しかしライオラのやり方は、2001年ごろに彼が出会ったもっと野心あるアヤックスの選手を相手に成功することとなった。旧ユーゴスラビアにルーツを持つスウェーデン人のストライカー、ズラタン・イブラヒモビッチだ。

 ライオラはイブラヒモビッチの自伝『I AM ZLATAN』の中心人物のひとりだ。現代のフットボール界で選手のキャリアに大きな影響を与えるのは、代理人だということなのかもしれない。代理人と選手の関係は、監督と選手のそれよりも深いものに見えることがある。ライオラの場合は特にそうだ。彼はクライアントの数を絞って、一人ひとりに小まめに接するようにしている。

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