コロンビア率いる名将ペケルマン。その哲学と弱点

  • 三村高之●文 text&photo by Mimura Takayuki

ブラジルW杯
ベスト8への道

「ユースの監督はいつでもトップの監督になれるが、その逆は難しい」

 タクシーの運転手で生計を立てながら、アルヘンティノス・ジュニオルス(アルゼンチン)のユースで指導者の道をスタートしたペケルマンの矜持(きょうじ)とサッカー理念が、この言葉の中にある。スター選手が引退後にいきなりトップチームを率いることがある。彼らは、完成された選手で構成されたチームに戦術を導入していく。しかしユースの監督は、能力的にも人間的にも未完成の選手たちと向かい合う。監督が対象とする相手が、トップの場合は集合体としてのチーム、ユースの場合は選手個人ということになる。選手個々の指導ができればチーム全体にも対応できるが、チームを対象にした指導者は、若い選手を育てられないということだ。

筆者のインタビューに答えるホセ・ペケルマン監督。1949年アルゼンチン生まれ。現役引退後に指導者の道に進み、アルヘンティノス・ジュニオルス、コロコロ(チリ)の下部組織の監督を務める。1994年、U‐20アルゼンチン代表監督に抜擢され、U‐20W杯に3回優勝。2004~2006年にはアルゼンチン代表監督を務める。2012年、コロンビア代表監督に就任筆者のインタビューに答えるホセ・ペケルマン監督。1949年アルゼンチン生まれ。現役引退後に指導者の道に進み、アルヘンティノス・ジュニオルス、コロコロ(チリ)の下部組織の監督を務める。1994年、U‐20アルゼンチン代表監督に抜擢され、U‐20W杯に3回優勝。2004~2006年にはアルゼンチン代表監督を務める。2012年、コロンビア代表監督に就任 ユース監督時代のペケルマンは、選手の才能を伸ばし育てることに心血を注いだが、それは現場での指導だけにとどまらなかった。アルヘンティノスでは、後に代表選手となったボルギが父親の死によってサッカーを続けることが困難になったとき、彼に経済的援助をするようクラブに対して働きかけた。アルゼンチンのユース代表監督時代(1994~2001年)は、家庭が貧しく満足な食事が取れないリケルメのためサッカー協会に掛け合い、代表の宿泊所で生活できるようにした。

クラウディオ・ボルギ...元アルゼンチン代表MF。アルヘンティノス・ジュニオルス、リーベルプレートなどで活躍
ファン・ロマン・リケルメ...元アルゼンチン代表MF。バルセロナ、ビジャレアルなどで活躍。現在はボカ・ジュニオルス

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