2012.07.05

【イタリア】バロテッリにとって代表、ユーロとは何だったのか

  • 内海浩子●文 text by Uchiumi Hiroko
  • 原壮史●写真 photo by Hara Masashi

準決勝ドイツ戦で2ゴールをあげ、決勝進出の立役者となったバロテッリ「人生の中で最も幸せな日」

 ドイツを破りチームをファイナルへと導いた夜、2ゴールを母に捧げたバロテッリはマイクの前で安らかにほほ笑んだ。決勝で敗れると、空をうつろう目から大粒の涙をこぼした。アズーリのジャージはなぜここまで彼に”素”の顔をさらけ出させてしまうのだろうか。

 バロテッリが素直な喜びを表現したのはドイツ戦の試合後が初めてではない。イタリア国籍を獲得した日がそれだ。18才の成人を迎えて真っ先に行なったこと、それが「イタリア人になる」ことだった。

 彼はイタリアで生まれ、イタリア人として育てられながら、バロテッリ家の一員であるために里子としての延長手続きを2年おきに踏み続けなければならなかった。登記上は”市民権を持たない移民の息子”であり、子供の頃から”外国人”として滞在許可証を手にするため警察署で列を作らなければならなかったのだ。

 ガーナ人移民のバルウアー家の長男として生まれた彼が、2歳の時にバロテッリ家へ里子に出されたのは有名な話だ。そうなったいきさつについて、実の両親とバロテッリ本人との間には見解に食い違いがある。だがバロテッリ家の養子申し出にも姿を現さず(養子となれば「イタリア人」になれた)、「今まで誕生日に電話の1本すらくれなかった」というマリオ少年が「親から捨てられた」と感じざるをえなかったのは事実だろう。

 16歳の夏、バルセロナでのテストで選手としては認められながら、「EU枠外」を理由に見送られたことも憎悪を深めることになった。彼は移民の子にもイタリア人にもなりえなかった。肌の色の違いも事態をさらに複雑にした。