「仲間が問題を抱えていれば、一緒に解決しようとした」 柏と広島でも困難を乗り越えたセザール・サンパイオ (3ページ目)
【ブラジルと日本がミックスすれば完璧な国になる】
──技術面だけでなく、精神面のサポートもしたんですね。
「そう。ニホンゴ、マアマア、ダケド(笑)。いつでもチームメイトを勇気づけていた。日本とブラジルは両極端なんだよね。日本人は物事をきちんと進める一方で、問題にぶち当たると、すぐに意気消沈してしまう。
逆にブラジルでは日々、困難の連続だから。僕はサントスでサッカー、サンパウロでフットサル、そして学校で勉強を続けていた時期がある。食事する時間もないほど慌ただしかったけど、フットサルを辞めるわけにはいかなかった。サンパウロで少しお金をもらえたから、サントスに行くためのバス代が払えたんだ。母は日雇いで働いていたから、食事ができる時も、できない時もあった。でも、目標を達成するためには、困難なんてない。もっと頑張ればいいだけだ。それが、僕の考え方なんだ。
だからこそ、日本でチームメイトたちが問題を抱えれば、一緒に解決しようとした。監督たちとも話をした。彼らまでが落ち込んでしまうのを感じたから、問題がある時こそ自信を持ち、選手たちに解決策を示し、安心感を与えなければならないと伝えたよ」
──本当に、いろいろな面で貢献していたんですね。
「おかげさまで1年でJ1復帰を達成し、みんなで乾杯することができた。その時にクラブからもらったしゃもじと酒の升は、今も自宅に飾ってあるよ。三本の矢とともにね。
去る時には、僕も家族もすごく泣いた。クラブは僕に、指導者や技術的な部門の役割で残ってほしいと言ってくれたんだ。でも、僕はまず、自分が次の職業に就くためにきちんと準備したくて、帰国を決意した。
当時のチームメイトたちとも、強い絆で結ばれている。小村(徳男)はその後、新婚旅行でブラジルに来てくれたから、僕の家に泊まってもらったよ。
そんなふうに、日本でプレーした3つのチームは、僕にとってすごく重要なものなんだ。日本の人たちを手助けしようと頑張ったと同時に、僕も多くのことを学んだ。大事にすべきものへの価値の置き方、人を尊重する気持ち......、そういう日本のいいところをブラジルとミックスできれば、どちらの国も完璧になるよね(笑)。日本は今でも、僕の第二の故郷なんだ」
(つづく)
セザール・サンパイオ Carlos César Sampaio Campos
1968年3月31日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。現役時代は万能型のボランチとして活躍し、サントス、パルメイラスというブラジルの名門を経て、1995年に横浜フリューゲルスに加入した。同クラブ在籍中、1998年ワールドカップにブラジル代表のレギュラーとして出場し、準優勝に貢献。2002年に柏レイソルに入団、翌2003年からはサンフレッチェ広島でもプレーした。引退後はクラブ経営や指導者の職務を歴任し、大学で経営学なども学んでいる。
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