「多摩川クラシコ」は成功 だが地元民だけが楽しむお祭りと化したJリーグに未来はあるか (3ページ目)
【一般のサッカーファンを振り向かせる力はない】
京王線の飛田給という、ふだんは各駅停車しか止まらないマイナーな駅の近くにあるとはいえ、新宿駅から徒歩を加えてもジャスト30分で到着する、日本の中心地に位置するスタジアムだ。FC東京、川崎以外のファンが足を運ぶにはもってこいの場所に立地するが、スタンドは両軍ファンできれいに分かれていた。多摩川クラシコらしい風景と言えばそれまでだが、第三者が興味や関心を抱きにくい、閉鎖的な世界であることも事実だった。
かつてはそうではなかった。ロベルト・カルロスがJリーグを4、5番手と評した頃、たとえば名古屋(瑞穂)に行けば、名古屋ファンでも、相手チームのファンでもないファンの姿が目に目についた。アーセン・ベンゲル監督のサッカー、ドラガン・ストイコビッチのプレー見たさに、遠路はるばる駆けつけたファンである。何を隠そう筆者もそのひとりで、仕事は二の次、ひとりのファンとしてせっせと通ったものである。
地元ファン以外の第三者、いわゆるサッカーファンを振り向かせる力。それこそがすなわち市場価値になるが、そうした魅力を兼ね備えたチームを現在のJリーグに見ることはできない。面白そうな選手は即、欧州へ行く。一流の外国人選手もごくわずか。さらに言えば、ベンゲルのような欧州の香りを漂わす今日的な監督もいない。そういう意味で期待されたハリー・キューウェルも、あえなく日本を去っていった。
かつて日本は世界の田舎とよく言われたものだが、現在のJリーグはそれに近い。世界から隔絶されたなかで行なわれている日本式フットボールだ。地元民のみが楽しむお祭りと化している。
企業色を抑え、都市名を前面に打ち出したことが横並びの精神を生み、低迷する経済と相まって、競争力を削ぐ結果につながった。頂点のレベルが低いことも輪をかける。「チャンピオンズリーグ」のサイズのことである。欧州一を懸けた戦いにある金銭的なうま味が、アジアチャンピオンズリーグにはまるでない。欧州と比較したとき、経済のスケールが圧倒的に小さいのだ。低迷する日本経済のなかで、各チームはどんぐりの背比べを繰り広げている状態にある。
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