元鹿島FW田代有三はオーストラリアで引退後になぜ現地で起業? 日豪「いいとこどり」とは (2ページ目)

  • 石井和裕●取材・文 text by Ishii Kazuhiro
  • photo by Ishii Kazuhiro

【オーストラリアの永住権を取得】

 オーストラリアの2023年冬(南半球)はFIFA女子ワールドカップでサッカーブームに沸いた。ただ、以前から、プレーするスポーツとしてサッカーの人気はあった。街ごとに地域コミュニティとなっているフットボールクラブが存在する。

田代さんはシドニーでサッカースクールを経営している(写真/田代さん提供)田代さんはシドニーでサッカースクールを経営している(写真/田代さん提供)この記事に関連する写真を見る 田代さんがサッカースクールを立ち上げたのは2020年。対象年齢はU-5からU-13まで。将来は大人の年代のチームにまで拡大し、クラブチームに育てることを目指している。

 三浦知良、本田圭佑、小野伸二、太田宏介......元Jリーガーがオーストラリアに渡るケースは少なくない。しかし、田代さんの場合は、そのスタンスが一味違う。オーストラリアで引退し、帰国せずにそのままオーストラリアでサッカースクール事業を立ち上げたのだ。

「プレーしている時にチームから勧められ、永住権を取ることができました。僕自身は、これまで、けっこう普通のサッカー人生をおくり大きなチャレンジをしてこなかったんですよ。このまま引退して帰国してしまったら、なんか面白くないと思っていました」

 35歳になって初挑戦した海外で、これまでに経験してこなかった価値観に触れた。

 例えば、オーストラリアでは、会話のなかで相手を褒めることが多い。そして、「Sorry」と謝罪されることはあまりない。でも「Thank you」と言われ感謝されることはかなり多い。

「家の契約書を送付してもらっておらず、まだサインしていないのに、実は契約が更新されていた」みたいな、日本では起きるはずのないようなことも起きるが、自分を迎えてくれたオーストラリアでの日々を重ねるうちに、「細かいことを気にしても仕方ない」と思うようになった。「この社会のいろいろなところを見て、もっと刺激を受けたい」と考えるようになった。そして「日本の当たり前」を当たり前と思わなくなった。だから新たなチャレンジに踏みきれた。

「以前は『変わっている』は褒め言葉ではないと思っていました。でも、今は『変わっている』と言われたいです。新しい道を拓いて面白い存在になる。自分の価値を高めたいと考えています」

 ほかのJリーガーと違うオンリーワンの道を選ぶことができた理由は、家族の協力と現地カルチャーへのアジャスト(適合)が大きい。

「例えば日本で人とすれ違う時に目があったら、ちょっと目をそらすことが大半だと思います。でも、こちらは目があったら挨拶してくる。オープンマインドなカルチャーです。すごく暮らしやすいし、人も温かい。お互いに『ありがとう』の気持ちを持って良いところを評価し、自分に取り入れ合う社会です」

 移籍当初は英語が苦手だった田代さんだが、試合に臨む姿勢や念入りな準備、チームに溶け込もうとするコミュニケーションが高く評価され、加入からたった半年でチームから永住権取得の勧めを受けた。

 田代さんによると、オーストラリアでプレーしたJ1経験選手のなかで、オーストラリアの永住権を取得した人はいないという。実は、そのコミュニケーション能力は鹿島に加入した際に磨いた。

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