北海道コンサドーレ札幌の攻撃的サッカーへの挑戦はまだ志半ば 不用意なミスにミシャは「相手が大学生であっても勝つのは難しい」
【攻撃的スタイルへの大英断】
奇しくもスコアは、前回の対戦(2022年J1第31節)と同じ4対3。違っていたのは、勝者と敗者の立場が入れ替わっていたことだ。4月1日、札幌ドームで行なわれたJ1第6節、「北海道コンサドーレ札幌対川崎フロンターレ」の一戦を簡単に振り返るとそうなるだろう。
札幌は撃ち合って川崎に敗戦。いい面悪い面両方の「らしさ」が出たこの記事に関連する写真を見る 両チーム合わせて7ゴールが飛び出すという展開が物語るように、ピッチ上では終始熱い攻防が繰り広げられ、結末はどちらの方向に転がるのかなど最後までわからなかった。
大熱戦の末、今回は川崎に凱歌があがり、札幌は苦杯を喫する格好となったが、勝敗とはまた違った角度で眺めてみると、試合の随所に"札幌らしさ"を見せつけていたのもまた事実だ。
誤解を恐れずに言うなら、4対3のど派手なスコアは両チームが"らしさ"を存分に発揮し合ったが故の副産物だったのかもしれない。その"らしさ"の根底には、間違いなく、ここ数シーズンに渡って札幌が追い求めてきた攻撃的スタイルのサッカーがあるだろう。
そもそも札幌が、攻撃的サッカーを旗印に掲げて本格的にチームづくりを推し進めたのは2018年のことである。
前年の2017年シーズン、四方田修平監督(現横浜FC監督)の下でJ1残留というひとつの目標を達成。ここで当時の野々村芳和代表取締役社長(現Jリーグチェアマン)は、チームのさらなる飛躍のために大きな決断を下すことになる。それがミハイロ・ペトロヴィッチ氏を新監督に迎え入れることだった。
ペトロヴィッチ氏はサンフレッチェ広島(2006~11年)と浦和レッズ(2012~17年)で監督を歴任。"ミシャ・スタイル"と呼ばれる攻撃的サッカーで魅力的なチームを作り上げ、リーグで強さを発揮。そんなチームの躍進と足並みを合わせるようにペトロヴィッチの名も、日本サッカー界で名将として広く知られるようになっていた。
当時の札幌には「これがコンサドーレのサッカーだ!」というべき確固たるスタイルがあったわけではなかった。その一方でクラブの未来のため、自らのサッカーを確立することの必要性を大いに感じていた。多くの人々の心に響き、かつ、北海道にふさわしいサッカーとは、いったい何か。
野々村社長がひとつの方向性として導き出した答えが、"攻撃的なサッカー"だ。そこで注目したのがペトロヴィッチ氏の存在であり、氏がタクトを振う攻撃的なサッカーだった。これも運命だったのかもしれない。2017年のシーズン途中に浦和の指揮官を退き、立場はフリー。絶好の機と捉え、札幌はペトロヴィッチ氏に白羽の矢を立てたというわけだ。ペトロヴィッチ氏の手腕にチームを委ね、札幌に攻撃的なサッカーのスタイルを根づかせようと目論んだのだ。
新しいスタイルが一朝一夕に確立できるなどとは到底、思っていない。野々村社長は「仮にJ2に降格したとしても、ミシャ(ペトロヴィッチ)にはそのままチームの指揮を執ってもらうつもりでいます」と、クラブとしての覚悟を語っていたものだ。
1 / 3
著者プロフィール
志田尚人 (しだ・なおひと)
フリーライター。1968年生まれ、北海道出身。タウン誌編集者を経て、1996年にコンサドーレ札幌の誕生をきっかけにオフィシャルガイドブック、オフィシャル雑誌の編集長に就任。2002年からフリーランスに転身し、現在はサッカーと野球をメインにライターとして活動中。