松井大輔、なぜフットサル選手に? 「最後は観客がいる中で引退させてくれ」 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by (C)2021 Y.S.C.C/Yutaro YAMAGUCHI

---- そんな縁があったんですね。でも、そのあとに退団した日本人選手もいたなか、松井選手はそのままサイゴンFCに残りました。なぜベトナムに残ろうと決めたんですか?

「まず、会長から『最後までやってほしい』と言われたのがひとつ。それと、契約期間は1年でしたが、今年のリーグ戦は9月までだったので、最後までシーズンを戦っても10月には帰国できるわけですし、それなら契約をまっとうしようと。

 コロナ禍によって想定外のことが多くて大変でしたけど、そもそも僕自身はベトナムが好きだったし、残ってくれと言われたら残る、要らないって言われたら帰るしかない、という心境でした」

---- せっかく残留を決めたのに、次はコロナの感染拡大に苦しめられましたね。

「そうなんです。4〜5月にかけて、どこからかベトナム国内にデルタ株が持ち込まれたみたいで、そこから一気に感染者が数千人単位に急増しました。5月下旬頃から外出規制が始まって、6月になると完全にロックダウン状態。ロックダウンは、僕が帰国した8月下旬も続いていました」

---- 5月以降は試合もなかったようですが、その間は練習もできない状況ですか?

「もともと5月第2週からはリーグ戦の予定がなくて、6月にAFCカップ、そして7月からリーグ戦が再開されるはずでした。だから、僕が最後に試合に出場したのは5月2日のハノイFC戦。5月は規制がかかるなかでも練習はできていましたが、6月になるとチームごとで練習場に隔離されるようになって。サッカーをしながら練習場の宿泊施設で合宿のような生活を送っていました。でも、それがめちゃくちゃつらかったんですよ」

---- いったい、どんな生活だったんですか?

「一番厳しかったのは、ご飯ですね。首がついたままの鳩とか、これまでの人生で食べたことがないような食べ物が普通に出てくるんです(笑)。それと、チームメイトが釣りに誘ってくれたので一緒に行ったら、泥水のような川で魚を釣って、ものすごい匂いがするその魚を料理して食べるんですよ。

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