日本サッカー指導者が中国に進出。
「元祖・天才」菊原志郎が語る実情

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • photo by Sportiva

広州富力足球倶楽部ヘッド・オブ・ユースアカデミー・コーチング
菊原志郎インタビュー(1)

 近年、日本人指導者の中国行きが相次いでいる。日本のJリーグにあたる、中国スーパーリーグのクラブがアカデミー(育成組織)を持つことが義務付けられ、各クラブは指導者の獲得に奔走。スペインやオランダ、ポルトガル、セルビア、ブラジル、日本など、世界各国の優秀な指導者に白羽の矢が立てられた。

中国の広州富力の育成年代を指導する菊原志郎中国の広州富力の育成年代を指導する菊原志郎 かつて読売クラブの「天才」と言われた菊原志郎も、中国で指導をするひとりだ。所属するのは広州富力。オーナーを務める富力グループは、不動産開発や中国のグランドハイアットやリッツ・カールトンなどのホテル事業ほか、多角的な事業を営む大企業である。

 トップチームの監督はドラガン・ストイコビッチ。2015年に、名古屋グランパスでフィジカルコーチ/ヘッドコーチとしてチームを支えた喜熨斗勝史(きのし・かつひと)を従えて、広州富力の指揮を執ることとなった。菊原は喜熨斗とS級ライセンスの同期であり、互いに人柄と指導力を認める仲だった。折に触れて、喜熨斗から「中国行き」の打診を受けていたものの、菊原は「タイミングが合わなくて」と固辞していたが、2018年に海を渡ることになった。

 現役時代の菊原は、1986年に16歳7カ月で日本リーグデビューを果たし、「天才少年」と呼ばれた。ケガの影響で27歳で現役を引退すると、指導者として活動をスタート。東京ヴェルディのジュニア、ジュニアユース、ユースのコーチ、U-15、U-16、U-17日本代表コーチを歴任し、2011年にはFIFAU-17W杯に吉武博文監督とともに参加。南野拓実、中島翔哉、鈴木武蔵、植田直通、中村航輔などを擁したチームは、高い技術と連携をベースとした攻撃的なスタイルでベスト8に進出した。

 その後、JFAアカデミー福島でU-14、U-15の監督を務め、2015年からは横浜F・マリノスでU-14コーチ、U-15監督として、育成年代の指導に心血を注いできた。その経歴を買われ、2018年に中国に渡り、広州富力U-13監督に就任した。

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