福田正博が語る「浦和レッズと日本サッカーの20年」

  • 菅原有希子●撮影 photo by Yukiko Sugawara

Jリーグ20周年特別企画 Part.1
 1993年にJリーグが創設されてから20年。その間、日本サッカー界は発展を続け、今やW杯に出場することが当たり前になり、海外のトップクラブで日本人選手がプレイしている。その20年間、選手として、指導者として、解説者としてサッカーとかかわり続けてきた福田正博氏が、現役時代のエピソードを語ってくれた。

■実は悩み抜いた会社員からプロ選手への転身

 私が大学4年生だった1988年は、まだプロ化の流れがなかった頃だった。そんな時代だったこともあり、大学卒業後は企業に入ってサッカーを続け、競技引退後は会社員として勤め上げようと考え、三菱重工に入社した。(92年4月にサッカー部は三菱自動車に移管された)

現役引退まで浦和ひと筋。今も「ミスターレッズ」と呼ばれる福田氏。現在解説者として活躍中現役引退まで浦和ひと筋。今も「ミスターレッズ」と呼ばれる福田氏。現在解説者として活躍中 それが、社会人2年目の1990年にプロリーグ発足の動きが始まり、1991年2月にJリーグ開幕時の10クラブが決定。三菱も10クラブのひとつとして参加が決まり、会社側は90年夏から所属選手のプロ契約を認め始めた。ただ、私自身はなかなか踏み切れず、プロ契約を結んだのはそれから1年後。もともと引退後も会社で働くことを考えて入社していたので、かなり悩んだ末の決断だった。

 プロリーグ発足が決まっても、すぐにサッカー人気に火がついたわけではなく、当時のスタジアムはチーム関係者ばかりで、観客はほとんどいないような状況。それが92年後半から一気に変わった。

 きっかけは日本代表が92年夏にダイナスティカップで、それまで勝てなかった韓国代表を破って初優勝したこと。さらに、10月の広島で開催されたアジアカップも制覇したことで、サッカー日本代表の注目度は飛躍的に上昇した。

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