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釜本邦茂さん死去 日本サッカーが生んだ不世出のストライカーのすごさ (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【その能力は世界に知られていた】

 メキシコ五輪後には欧州クラブからオファーも届いていたのだが、残念ながら釜本がウイルス性肝炎に罹って戦列を離れてしまったこともあって海外移籍は実現しなかった。当時の釜本の能力をもってすれば、どこの国のどんなクラブに行ってもCFとして定着し、多くのゴールを決めていたはずだ。

 しかし、日本という弱小国でプレーしていてもその能力は世界に知られていた。1980年12月には、バルセロナで行なわれたユニセフの慈善試合に世界選抜の一員として参加。ヨハン・クライフ(オランダ)やミシェル・プラティニ(フランス)とともに堂々たるプレーを見せた。

1984年に行なわれた引退試合のチケット(画像は後藤氏提供)1984年に行なわれた引退試合のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る そして、1984年8月に東京・国立競技場に6万人の大観衆を集めて行なわれた釜本の引退試合には、ペレ(ブラジル)やヴォルフガング・オベラート(西ドイツ)が駆けつけたのである。

 釜本氏の日本サッカー界への多大なる貢献に感謝するとともに、ご冥福をお祈りしたい。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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