釜本邦茂さん死去 日本サッカーが生んだ不世出のストライカーのすごさ (3ページ目)
【強豪クラブ相手のゴールの数々】
国際Aマッチ75得点というゴールはたしかにすばらしい記録だが、当時は国際Aマッチの試合数は今ほど多くはなかった。しかも、欧州や南米の代表との試合などほとんどなく、ほとんどがアジアの代表との対戦だった。
当時の日本代表にとっては、シーズンオフを利用して来日する欧州や南米の強豪クラブとの対戦がビッグイベントで、日本代表は、事前合宿を行なって対戦したものだった。
僕たちの記憶に残っているのは、Aマッチでの得点よりもこうした強豪クラブとの試合でのゴールの数々だった。
1967年にはブラジルのパルメイラスが、南米の本格的プロチームとして初めて来日。東京・駒沢陸上競技場で日本代表と3試合を戦ったが、2戦目では釜本が奮闘。74分にはヘディングの競り合いでPKを獲得(小城得達がゴール)、さらに80分にも角度のないところから体制を崩しながらシュートを決め、日本代表に2対1での勝利をもたらした。
1968年にはイングランドのアーセナルが来日。その初戦で、アーセナルは開始13秒でいきなり先制ゴールを決めて観客を驚かせた。だが、8分には右サイドの渡辺正からのクロスを、ニアサイドに飛び出した釜本がダイビングヘッドで決めて一矢を報いた(この形のゴールは、その後日本では「アーセナル・ゴール」と呼ばれることになる)。
僕が、もうひとつ覚えているのは1971年にトッテナム・ホットスパーが来日した時のことだ。神戸で行なわれた初戦で日本代表は0対6と大敗を喫したのだが、釜本が右サイドからのクロスをゴール正面から強烈なヘディングシュートを放つ場面もあった。誰もが「決まった!」と思ったが、トッテナムの名GKパット・ジェニングス(北アイルランド代表)が横っ飛びにはじき出してしまったのだ。
こうした親善試合も含めると、日本代表での釜本の得点は154ゴールに達する。
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