サッカー日本代表のプレースタイルはどうあるべきか。W杯過去6大会は「嗜好性を選んで敗退」か「合理性を追求してベスト16」 (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

ベスト8のための「日本化」

 開催国とはいえ2大会目でベスト16を達成した。そうすると自然に目線が高くなるわけで、次の目標はベスト8以上になる。だが、ベスト8となると一気にハードルは上がる。8強となれば強豪国と肩を並べているような段階になるからだ。

 2002年大会後に就任したジーコ監督は「自由なサッカー」を掲げ、選手たちの能力を信頼していた。ベストメンバーが揃った時は技術の高さと攻撃力を発揮したプレーを見せていた半面、折しも欧州移籍が増えたことで「海外組」「国内組」が生まれ、2つのチームを並行的に強化する形になった。

 戦術の細部を選手に任せる手法では強化の実効性が上がらず、停滞感があった。予選は最速で通過したが、本大会では強豪国のように背伸びした中堅国として痛い目にあった。

 ところが、後任となったイビチャ・オシム監督は「日本サッカーの日本化」を掲げる。オシム監督の「日本化」は日本らしさの追求にほかならないわけだが、前監督の時にはなかった合理性の観点から日本選手の長所を生かそうと試みていた。

 病気によるオシム監督の退任後に2度目の就任となった岡田監督も、手法こそ異なるものの、「日本化」を継承していた。しかし、それが暗礁に乗り上げたことで4-5-1による守備的なスタイルに修正してベスト16入りする。

 岡田監督の後任としてザッケローニが監督になると、2002年のトルシエ→ジーコとほぼ同じことが起きた。ベスト8へ向けてのスケールアップと、そのための「日本化」の推進だ。この時はようやく「嗜好性」を満足させる新たな日本スタイルが構築されたかに見えたが、結果は2006年の時と同じだった。

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