28年前の日本代表監督解任劇。ファルカンは悔しさを露わにして振り返った (5ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

ベスト8を目指す森保一への期待

 日本がW杯でベスト16の壁を破るにはどうしたらいいか。

 現代的な仕事をするいい監督のもとであれば、私はそれが可能であると思う。組み合わせにもよるが、いつかは必ずそれ以上に行けるはずだ。残念ながら明確なアイデアを出せるほど今の日本代表に精通しているわけではないので、的確にどうしたらいいかを指摘することはできない。ただ、今の日本を見る限り、ベスト8以上になったとしても決しておかしくはないと思う。それはジーコやその他のこれまでの代表監督たちが綿々と続けてきた仕事の成果である。そして私の8カ月の仕事も、そのなかに少しは入っているのだと思うと満足を感じる。

 奇しくも今の日本代表監督は、かつて私の選手だった森保一だ。彼にはぜひとも頑張ってもらいたい。

 このコロナ禍での2年近く、私は家で各国の試合を見てはサッカーの研究をしていた。サッカー自体が止まっていた時期にも過去の試合を見て、戦術やテクニックを学んでいた。

 パオロ・ロッシが亡くなった際にはFIFAからイベントに呼ばれ、クラブワールドカップにゲストとして参加したこともあった。テレビの解説も続けている。まだサッカー界は私のことを忘れてはいないようだ。今はまたサッカーの現場に帰りたい。芝の匂いが懐かしい。私の膝が許さないので残念ながら現役復帰は難しいが(笑)、監督をする元気はある。気力もまだまだある。

 久しぶりに日本の皆さんに話をすることができて、私はとてもうれしい。話しているうちに日本でのすばらしい思い出がたくさん蘇ってきた。そして何より、私がどれだけ日本の文化や人々のことを好きか、やっと皆さんに伝えることができたことに喜びを覚えている。私は今でも日本の友であり日本サッカーのサポーターだ。再び日本に戻れることを願いながら、この文章を締めたいと思う。

パウロ・ロベルト・ファルカン
1953年10月16日生まれ。現役時代はインテルナシオナル、ローマ、サンパウロでプレー。ブラジル代表ではジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと「黄金のカルテット」を形成した。現役引退後の1990年、ブラジル代表監督に就任。1994年、ハンス・オフトの後任として日本代表監督に就任した。

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