28年前の日本代表監督解任劇。ファルカンは悔しさを露わにして振り返った (4ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

強くなった日本に感じる一抹の寂しさ

 W杯ではブラジルのテレビ局のコメンテーターとして日本の試合の解説を何度もした。ジーコが日本を率いていた時も私は解説をした。日本の試合を欠かさず見て、海外に行った日本の選手のことも追っている。数多くの日本人が海外リーグでプレーしているということは、フィジカルも強くなったということだろう。90年代の前半に私が言っていた「日本人にあとフィジカルの強さだけ備われば世界に通用することができる」が今、現実となっているのだ。

 ただ日本のサッカーが、選手も、代表も、クラブも、女子サッカーも格段に強くなってきているのを見ると、私は一抹の寂しさを感じざるを得ない。私も日本が強くなる手助けをもっとしたかった、強くなっていく様子を間近で見たかった。もし私があのまま代表監督に残り、私の練り上げたプロジェクトを遂行できていたなら、もっと成長のスピードを速めることができたかもしれないと思うと、残念な気持ちでいっぱいになる。

 もしかしたらまだそのチャンスはあるかもしれない。そう私は希望を持っている。もちろん、もう当時のようにがむしゃらにフィジカルを鍛える必要はない。すでに日本人はそれを手に入れている。しかし戦術においてはまだ日本に新たなものをもたらすことができると思う。

 日本は今、いい選手といい監督に恵まれているが、新たなものを取り入れて学ぼうという姿勢、前に向かおうとするどん欲さを決して忘れないでほしい。

 Jリーグの黎明期ほど外国人の力は必要としないだろうが、それでも外国の選手や監督は日本人にはないものをもたらしてくれる。我々ブラジル人は、我々の経験を持って、いつでも日本を助ける用意ができている。だから自分たちの殻に閉じこもらず、もっと世界に開いてほしい。日本人は外国人の知恵を利用することに非常に長けていると思う。
 
 代表監督の座を去ったあとにもいくつかの日本のチームからのオファーはあった。しかし最終的な合意にまでは至らなかった。何年か前にジーコと話した時、また日本で仕事をするチャンスは十分にある、興味を持ってくれるチームはあると言ってくれた。私は常に扉を開けている。正直、私は日本にまた帰りたい。私もあれからいろいろ勉強をして、当時よりも監督として成長したはずだ。また日本で仕事ができればそれは私にとって大きな喜びであり、光栄なことである。

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