日本サッカー界の名将たちを育て上げた男。その指導から考える真の「育成」 (6ページ目)

  • 木村元彦●取材・文・写真 text & photo by Kimura Yukihiko

木村 17歳以下の日本代表選手たちに「お前らの世代で日本代表にいてもそのまま年を経てA代表に残った例は少ないんだぞ。本田圭祐も長友佑都も香川真司も雑草で、世代別の代表ではなかった。慢心していると、そういう連中がすごい覚悟でこれから向かって来るんだから」という言葉ですね。

平尾 ええ、耳あたりのいいことだけではなく、厳しい現実をきちんと伝えている。ナイーブな10代の選手たちに自分が生き残るためには何が必要で何を伸ばせば良いのかを考えさせています。幼い頃からチヤホヤされる早熟タイプの人って、往々にして潰れていくじゃないですか。選手としてだけじゃなく、場合によっては人としても危うくなる。そうならないように、指導者は適切な指導をしていかなければならない。選手が自分自身を客観視するために適切な言葉がけで導くのが、指導者の主たる役割だと思います。

木村 あれをまた、受け止めて頑張ろうという奴らが頼もしいですね。選手として自分の正体、自分のスタイルを捕まえることに気がつくように仕向けるんですね。

平尾 とても大切なことです。神戸製鋼時代の僕の同期に大畑大介という選手がいました。ウイングという同じポジションで、ともに高校日本代表になったときは僕のほうがレギュラーだったんです。それが大学に入ってからものすごい勢いで追い抜かれて、彼は20歳のときに日本代表に選出されます。大学卒業後は神戸製鋼で同じチームになって、ある日の練習中に彼をタックルしようとしたものの見事にかわされた。間合いもスピードも異次元のレベルを肌で感じて、「あ、これ叶わん」と思いました。一生かかっても追いつけないレベルだとわかってしまった。それでも試合に出たい、出なければいけない。そこからプレースタイルを変える決断をしました。

 大学までの僕はチームのトライゲッターでした。スピードを武器に活躍してきたんだけど、そのスピードが彼には敵わない。もう圧倒的に。ならば彼にトライゲッターを任せ、彼とは反対側のポジションの左ウイングに狙いを定めて、チャンスメーカーとしてのブラインドウイングを担うことにしました。ボールを持っていないときの動きを覚え、それに磨きをかけた。運動量を増やして、つねに相手の目を眩ませるようにした。つまり「おとり役」に徹しようと。それで何とかレギュラーを獲得しました。森山さんの言葉でそれをふと思い出しました。

 平尾さんもそうだったんですけど、今西さんが、選手が自分自身を客観視できるように仕向ける、そういう指導者を育てて来られたという功績はとても大きいと思います。

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