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U-20代表は、11年前の香川真司を教訓に
久保建英を招集すべきだった (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐藤博之●撮影 photo by Sato Hiroyuki

 思い出すのは、11年前の秋のことだ。

 当時のU-19代表は、翌2009年のU-20ワールドカップ出場をかけたアジア最終予選(アジアU-19選手権)を、サウジアラビアのダンマンで戦った。

 チームの中核として期待されていたのは、香川真司。すでに2007年U-20ワールドカップや2008年北京五輪にも飛び級で出場した、特別な選手だった。

 ところが、香川がアジア最終予選でプレーしたのは、グループリーグまで。世界行きのキップがかかった、肝心の準々決勝には出場しなかった。

 なぜか。

 同時期に行なわれたワールドカップ最終予選、カタール戦に臨むA代表に招集されたからだ。

 しかも、カタール戦が行なわれるのは、アウェーのドーハ。ダンマンからであれば、目と鼻の先である。準々決勝に出場してから合流しても、試合には間に合う日程だった。

 ところが、日本サッカー協会は最年少の代表選手を"特別扱い"できなかった。香川を一度帰国させ、型どおりにA代表の集合日に合流させてから、再びドーハへ向かわせた。

 結局、U-19代表は準々決勝で韓国に敗れ、それまで7大会連続で獲得していたU-20ワールドカップの出場権を失った。

 その一方で、香川はカタール戦で出場はおろか、ベンチにさえ入らなかった。

 もちろん、香川がいたからと言って、U-20ワールドカップに出場できたかどうかはわからない。ただ、日本サッカー全体として限られた戦力を有効活用し、かつ、選手本人の成長にとって最善の選択がなされたのかと言えば、疑問を感じざるをえなかった。

 今回の安部や久保にしても、コパ・アメリカでどんな活躍をするのかはわからない。まして、それが5年先、10年先のキャリアにどんな影響を与えるかなど、わかるはずがない。

 とはいえ、トリニダード・トバゴ戦の扱いを見る限り、A代表における久保が、少なくともいの一番に試したい、試さずにはいられない新戦力でなかったのは明らかだ。どうやら11年前の出来事は、反省として生かされていないように見える。

 安部や久保がいれば、日本はU-20ワールドカップで優勝していたかもしれない。そして、自分が中心となってチームを引っ張り、世界の頂点に立つことができていたら、その経験が今後の彼らにどれほどの影響を与えただろうか。

 所詮は、タラレバの想像である。だが、持っておくべき後悔だと思う。

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