ヒデと福西の言い合いが象徴する混乱。「ジーコは何も言わなかった」 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 だが、試合は後半30分、イランに決勝ゴールを奪われて1-2で敗れた。

 慣れない4バックで不自由な戦いを強いられた選手たちは、疲労感と危機感でいっぱいだった。5日後には、次のバーレーン戦が控えていたからだ。しかも、平壌からはバーレーンが北朝鮮をカウンター2発で破った情報が入ってきていた。

 バーレーン戦はホームでもあるし、絶対に負けられない試合だ。そのためにも、侮れない相手ゆえ、自分たちのやり方で戦いたい――そうした意識が選手の中では強くなっていった。そして、3バックを推す声がチーム内で大きくなっていった。

 帰国する飛行機の中で意見をすり合わせ、キャプテンの宮本がチーム全体の意見を集約した。帰国後、中田がその旨をジーコ監督に伝えて、バーレーン戦は3バックで戦うことになった。

「あれだけ話し合ってダメだったから、バーレーン戦は3バックにしたけど、(イラン戦が)あのまま引き分けるか、勝っていたら、ジーコはたぶん相手によって、3バックと4バックを使い分けていたと思う。

 俺も、個人的には3バックより4バックのほうがいいと思っていた。当時のジュビロ磐田のサッカーが自分の中では理想だったので、その影響もあったと思うけど、日本の中盤にはいい選手がたくさんいたからね。3バックだと中盤(の選手)が一枚減るんで、それなら中盤を増やした4バックのほうが最終的にはいいサッカーができると思っていた」

(つづく)

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