12年前に中東の地で、なぜ福西崇史は中田英寿と言い争ったのか

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第1回
「喧嘩」と報道された中田英寿との衝突~福西崇史(1)

福西崇史(ふくにし・たかし)。1976年9月1日生まれ、愛媛県出身。ジュビロ磐田「黄金期」の主力メンバー。日本代表でも活躍。国際Aマッチ出場64試合、7得点。サッカー解説者。福西崇史(ふくにし・たかし)。1976年9月1日生まれ、愛媛県出身。ジュビロ磐田「黄金期」の主力メンバー。日本代表でも活躍。国際Aマッチ出場64試合、7得点。サッカー解説者。

 2005年、日本代表は2006年ドイツW杯アジア最終予選を戦っていた。

 その初戦(2月9日)、ホームで行なわれた北朝鮮戦は大苦戦。ロスタイム、大黒将志の決勝ゴールでなんとか2-1と勝利し、勝ち点3を獲得した。

 2戦目の相手はイラン。北朝鮮戦からおよそ1カ月半後、決戦の舞台となるアウェーの地に乗り込んだ。

 試合(3月25日)の3日前、実戦形式の守備練習が行なわれた。

 スタメン予定のAチームは、従来の3-5-2から4-4-2にシステムが変更されていた。そこには、1年ぶりに代表復帰を果たした中田英寿の姿もあった。ポジションは右のオフェンシブMF。そして、右のボランチに入っていたのが、福西崇史だった。

 ハーフウェーライン上に指揮官のジーコ監督が立ち、Bチーム陣内の左サイドにボールを入れた。瞬間、Aチームの中田と右サイドバックの加地亮は猛烈な勢いでボールホルダーにアプローチし、ボールを奪いにいった。

 そのとき、福西は最終ラインの手前から動かずにいた。すると――。

「なんで、おまえ、(プレッシャーに)来ないんだ!」

 中田の怒号がピッチ全体に響いた。連動してボールを奪いに来なかった福西に対して不満の声をあげたのだ。対して――。

「(ボールの奪いどころは)そこじゃない。そっちが下がってこい」

 福西が中田に反論した。

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