【プロ野球】門田博光の加入で守ったレフトでもベストナインに輝いた石嶺和彦 「サッサ」という愛称は松永浩美がきっかけ? (3ページ目)
――松永さんもサッサと呼んでいたのですか?
松永 チームメイトといる時はサッサと呼び、それ以外の時は石嶺と呼んで使い分けていました。当時はパ・リーグの試合が放送されることが少なかったので、球場の外に出るとパ・リーグの選手を知らない方も多いわけです。なので、「この選手の名前は石嶺です」と周囲に認識させるため、あえて石嶺と呼んでいたんです。そこまで気を遣った選手は、なかなかいないんじゃないかな(笑)。
――今でもお会いすることはありますか?
松永 最後に会ったのは上田利治監督の葬儀(2017年)の時なので、もう9年近く会っていませんね。ちょっと前に熊本でゴルフコンペがあって、ダイエーにいた新里紹也と話す機会があったんです。それで「どこから来たの?」「沖縄から来ました」などと話をしているなかで、「ところで、沖縄といえば石嶺は何をしているんだ?」っていう話になったんです。新里は「今度確認してみます」と言っていましたけどね。
――沖縄の高校で指導されている時期もあったみたいですね。
松永 それはもう、だいぶ前に終わっているみたいですからね。新里もそれ以来名前を聞いていないと言っていたので、どこで何をしているのか......。同期であり、「負けたくない」と思っていたライバルですし、やはり気になりますよ。おそらく、元気にしているんでしょうけど(笑)。
【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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