【部活やろうぜ!】今季飛躍の西武・西川愛也が振り返る花咲徳栄時代の寮生活「最初は ビックリしました」 (2ページ目)
【「こっちが適応しないと」】
花咲徳栄への進学が決まり、待っていたのは寮生活だ。大阪の少年たちは15歳で親元を離れることを厭わず、全国各地の私学に進むケースが少なくないとよく聞く。
だが、西川は決して前向きに捉えていたわけではなかった。
「嫌だなっていうのはありましたよ、もちろん。家から通うほうがいいですよ。けど、行くしかないので。ホームシックにはならなかったですけど」
現在、花咲徳栄の野球部員が暮らす寮は、西川が卒業した年の1月に新設されたものだ。西川が高校生だった頃、野球部の旧寮はグラウンドのライト側のファウルゾーンに建てられていた。築30年以上で、壁に開いている穴から野良猫が入りこんだり、クモやハチ、ネズミ、ゴキブリが出ることも珍しくなかった。
「最初はビックリしました。でも、慣れるしかなかったですね。こっちが適応しないとダメだって(笑)」
土日の朝、衝撃的な光景を目にした。平日は学校の食堂で朝食をとってから授業に行くが、土日は食堂からパンと紙パックのコーヒーや紅茶などをもらってきて寮で食べる。3年生、2年生、1年生と順番で受け取り、お腹を空かせた西川が最後のほうに取りに行くと...‥。
「鳩がめちゃめちゃ突いているんですよ。パンの袋を開けて、めっちゃ食っている。後から取りに行ったら、『俺らのないやん?』みたいな。朝メシがなくて、コーヒーだけ飲んで練習ということもありました」
ただ、環境的には大変な点もあったが、いわゆる強豪野球部と聞いて連想されるような上下関係はなかった。のちに西武でチームメイトになる2学年上の愛斗をはじめ、浜寺ボーイズの先輩たちや、他の上級生はみんな優しかった。
「ほどよい上下関係で、むしろ優遇されていたと感じます。皆さん、めちゃめちゃ優しくて、伸び伸びできたと思いますね」
以下は、当時の大まかな1日の流れだ。
7時:寮で点呼
8時:学校の食堂で朝食→授業
16時:部活動開始
18時30分:部活動終了
20時:夕食
22時:夜練終了。寮に戻ってシャワー、夜食
23時:消灯
近年は強豪校でも朝練をなくし、十分な睡眠時間を確保してリカバリーや身体の成長につなげようとするチームが増えている。花咲徳栄では西川の在学当時から、基本的に朝練はなかった。
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