門田博光も「700本は打てる」と惚れ込んだ逸材 T−岡田は本塁打王以降、何に苦しんだのか「じつはあの年...」
T−岡田インタビュー(後編)
今シーズン限りで現役を引退するオリックスのT−岡田。球界屈指の長距離砲として、プロ5年目の2010年は22歳にして本塁打王に輝くなど、岡田の未来は希望に満ちていた。だが、それ以降は思うようなバッティングを発揮できず、ここまで(9月23日現在)放った通算本塁打は204本。岡田の代名詞でもあったホームランの数について、自身はどう感じているのか。
19年間のプロ野球生活を淡々と振り返るT−岡田 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る
【ノーステップ打法との決別】
「250本はいきたかったですね」
岡田らしい控えめに思える答えに、即こう返した。
「500本は打ってほしかった」
すると岡田は苦笑いを浮かべたが、決してオーバーな数字だとは思っていない。
事実、2012年の暮れに岡田と対談した通算567本塁打の門田博光氏(故人)は、「ここから本気になったら700本は打てる」と大真面目な顔で本人に伝えていた。
門田氏は、岡田が一軍で7本塁打を放ち、開花の足がかりをつかんだ2009年のシーズン終盤、テレビに映る岡田にひと目ぼれ。兵庫の山間にあった自宅から京セラドームまで車を走らせ、当時の指揮官だった大石大二郎監督に「55番(T−岡田)をオレに見させてくれ」と直訴。結局、実現はしなかったが、それだけの資質を感じていた。
そしてこの翌年、岡田は33本塁打を放ち、22歳にして本塁打王を獲得。500本はおろか、門田氏が言った700本も決して夢の数字とは思わなかった。
今もネット上で見ることができるが、2010年に記録した33本のホームラン映像には惚れ惚れさせられる。外の球は力強く踏み込みセンターからレフトへ返し、インコースは鋭いボディーターンでライトへ。さらに、落ちる系のボールは片手で拾い、高めの強いストレートは腕を畳んで叩く。どのコース、どの球種が来ても、打球を遠くに飛ばせるツボを持っていた。
当時はスタンスを広くとり、重心を落としたノーステップ打法。しかし、本塁打王を獲ったわずか2年後、このフォームと決別。過去の取材のなかで尋ねた時には、「しっくりいかなくなって......」「下半身の負担が大きい」とその理由を挙げていたが、今あらためて決別の理由を聞いてみた。
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。