岡田彰布第一次政権を支えた阪神の元通訳が見た活躍する「助っ人」の特徴「馴染む努力が重要」 (3ページ目)
【リーグ優勝した2005年シーズンの裏話】
――優勝した2005年の印象に残っている試合はありますか?
「優勝が間近に迫ったナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)の中日戦(9月7日)で、中村豊が延長戦で本塁打を放った試合です。この試合で阪神は、本塁に向かった中村が微妙な判定でアウトになったり、その後も不利な判定が続いたこともあって、岡田監督が試合の途中で選手たちをベンチに引き上げさせて審判に猛抗議をした。そんな荒れた試合に決着をつけたのが、微妙な判定をされた"伏兵"中村の本塁打。フラフラと上がった打球がレフトスタンドに入った時に、僕はリーグ優勝を確信しましたね」
――その後、阪神は順調にマジックを減らし、9月29日にリーグ優勝を決めました。ただ、日本シリーズではロッテ相手にまさかの4連敗。一部では、4戦合計のスコアから「33-4」などと揶揄されていましたが......。
「僕が言うことではないでしょうが、当時はパ・リーグだけがプレーオフを導入していて、対戦相手のロッテは直前まで真剣勝負を繰り広げていた。一方の阪神は、早々に優勝を決めた後に実戦から遠ざかり、ふわふわした雰囲気でまったく流れを掴めないまま日本シリーズが終わってしまった感じです。実践感覚の差や、科学的には説明のつかない試合の流れを掴む難しさなどを思い知ったシリーズでしたね」
――当時の岡田監督の采配を、間近で見ていていかがでしたか?
「岡田さんは、ジェフ、藤川球児、久保田智之による"JFK"のように、選手にきちんとした役割を与える傾向がありました。選手たちも自分の出番に向けて準備がしやすかったと思いますし、そこは昨年の岡田さんの采配にも通じるものがあるんじゃないかと。
実は、2005年のシーズン中に、当初の予定とは違う投手が場内にアナウンスされて、マウンドに上がったことが何回かあるんです(苦笑)。僕が覚えているのは、大差で勝っていたのにジェフの名前がコールされた試合です。
スパイクの紐を緩めてリラックスしていたジェフは、自分の名前を聞いて驚いていましたよ。『とりあえず牽制球で肩を温めよう』と言って、ひとまずマウンドに送り出したんですけど、その時は打たれてしまった。ベンチに戻ってきた時、ジェフは怒っていましたよ。あとは東京ドームの巨人戦で、江草(仁貴)がブルペンからマウンドに向かおうとした時に、別の投手がコールされたこともありましたね」
――そういった間違いは、2005年よりも前にもあったんですか?
「そうですね。選手たちは、自分が試合に出るタイミングを予測しているので、想像とまったく違うところで呼ばれた時は不憫にも感じました。ただ、プロの選手である以上、呼ばれたら試合で結果を残さなきゃいけない難しさもある。"代打の神様"と言われた八木裕さんが、ベンチ裏で試合展開を見ながら準備する姿などを見ていても、期待どおりの活躍をする難しさを感じました」
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