江川卓の投球に「高校生のなかにひとりだけメジャーリーガーがいる」対銚子商戦で1安打20奪三振の快投→甲子園出場を決めた (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

「江川ですね。リズムとかバランスを考えると江川はちょっとぎこちなく、松坂のほうがバランス、リズム、タイミング、フィールディングなど、総合的には上かもしれませんが、球そのものの速さ、変化球のキレは江川が上でしょうね。時代は違いますが、投げ方など、松坂は尾崎(行雄)に似ているなって感じがしました。江川はちょっと異質でした。高校生でも近寄りがたい風格のある選手っていますよね。そういう意味で、江川は松阪よりも独特のオーラを持った選手でした」

 渡辺監督と二人三脚で常勝・横浜を築き上げた小倉清一郎氏にも同じ質問をぶつけてみた。

「松坂とは問題にならないですね。まず、あれほど伸びる高めの真っすぐを投げる投手はいない。今のスピードガンで計ったら、158キロから159キロくらい出ていたと思います。対策といっても、やりようがない。ヘルメットを深く被らせて高めを振るなといっても、ストライクですからね。コントロールもいいし、攻略などできない。ただ、江川の高校時代の練習量は松坂の半分もやってないでしょう。私の全盛期に江川を教えたら、もっとすごくなっていたでしょうね。松坂を鍛えたような練習をやらせれば......。まあ、江川は練習しなくてもあれだけのボールを投げられるんですから、天才なんでしょうね。モノが違います。いま投げても、三振の数はあまり変わらないと思いますよ。歴代ナンバーワンです」

 小倉にしてみれば、高校時代の江川を育てみたいというのは本心だろう。もしそれが実現していれば、高校野球のみならず、日本のプロ野球界の歴史も変わっていたかもしれない。

 江川の野球人生でもっとも"怪物"らしかった時期でもある高校2年秋の関東大会。たった3試合ではあったが、そのインパクトは強烈な輝きを放っていた。

前編<江川卓に対し「裏切り者のチームに負けるな」9回まで無安打投球も小山高の執念に屈し作新学院は甲子園出場を逃した>を読む


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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