元オリックス藤井康雄は「勉強は嫌い、殴られるのも嫌」で、憧れだったプリンスホテルにまさかの入部を果たした (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 そんななか、チーム内に大変化が起きる。采配を振っていた助監督の石山が81年の6月に辞任したのだ。3月のスポニチ大会に加え、都市対抗予選で敗退した責任をとった形だが、もともとは2月のキューバ遠征で好成績を残したことで、負けが際立ったところもあった。

 当時、キューバのカストロ首相は西武グループの観光事業に興味を抱き、その一環でプリンス野球部を自国に招待。各地で11試合を行ない、プリンスは9勝2敗と圧倒した。しかし石山によれば、例年2月のキャンプを経ずに実戦に入ったため、実力を発揮した勝利ではなかった。

 案の定、スポニチ大会で惨敗すると「キューバに勝ったチームがなんで負けるんだ!」と社内が騒然となった。結果、会社の方針で野球部を一軍と二軍に分割し、一軍は野球に専念、二軍はホテル勤務と兼任、とされた。石山はその方針に納得できず、会社との間で揉めに揉めたなか、都市対抗予選で敗退して辞任に追い込まれたのだった。

後編につづく>>

(=敬称略)

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