元オリックス藤井康雄は「勉強は嫌い、殴られるのも嫌」で、憧れだったプリンスホテルにまさかの入部を果たした (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「奥田さん曰く、『藤井くんも門田のような選手になれるから、明星に来い』と。その時の練習でスタンドに放り込んでいたので、『えっ? 中学生が?』というような感じだったんでしょうね。うれしい言葉でしたが、明星は勉強もしないといけない学校で、僕の頭ではレベル的に厳しいかなと......。それで『泉州高校に行きます』と、その時はそれで終わったんです」

【不完全燃焼だった高校時代】

 いざ泉州高に入学すると、部員の不祥事で1年間の対外試合禁止処分。実績十分の監督、西村進一は辞任。そんな不運もあって、2年時から4番を打った高校時代は不完全燃焼。最後の夏も、大阪大会5回戦で浪商高(現・大体大浪商)に0対1で惜敗して終わった。だが、直後に道が開ける。

「夏の大会で負けて、本当に翌日です。奥田さんから電話がかかってきたんです。お話しするのは中学3年の時以来でしたが、『大学でも野球やるなら、世話してあげるから』と。それで僕、『勉強も嫌いですし、殴られるのも嫌ですし』と言ったんですね、正直な気持ちを。そしたら『じゃあ、プリンスホテルに行かないか』と言われて、『えっ?』となったわけです」

 会話するのが中学3年以来でも、まさか、その当時の印象だけで連絡してきたわけではないだろう。当然、高校時代も追いかけて見ていたのではないか。

「見てくださったのかもしれないですけど、僕の高校時代は本当に『鳴かず飛ばず』でしたから。公式戦ではほとんど打ってないんです。だからその奥田さんからの電話には驚きましたし、本当に『プリンスですか? 喜んで!』っていう感じでした(笑)」

 藤井が歓喜したのも、石毛、中尾を筆頭に大学野球のスターが1期生にいたからだが、実際には1期生30名のうち17名が高校生。甲子園に出場した有望な選手もいたが、ドラフト上位で指名されるほどの素材は見当たらない。「プロ以上のアマチュアチームをつくる」という石山の構想とは別に、副部長の奥田が中心になって選手を集めていた。石山から見ると「数合わせ」同然だった。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る