2022.06.13

一軍出場わずか1試合の男は、のちにソフトバンク黄金期の礎を築く偉材となった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第31回
証言者・小川一夫(1)

 1992年11月1日、西武を退団したばかりの根本陸夫が、監督としてダイエー(現・ソフトバンク)に入団した。根本は西武で3年間、監督を務めたあとにフロント入り。いずれも巨人の野球を熟知し、指導経験も豊富な広岡達朗、森祇晶を監督に招き、新人補強やトレードでチーム強化に邁進して常勝軍団を築いていた。

 フロントでの11年間における肩書きは球団管理部長、スカウト専任部長、取締役編成部長。実質的にはGMとして長らく球団の中枢にいたわけだが、それだけの人物がまったく間をおかずにライバル球団へ"移籍"するとは、極めて異例のことだった。

 この時、「あの根本さんが本当にウチに来るんだ」と大いに期待した男がいた。当時、ダイエーの九州担当スカウトだった小川一夫である。

 もともと小川は、前身球団・南海の捕手。現役引退後、コーチ、マネージャーなどを経てスカウトとなり、のちに編成部長、スカウト部長として逸材を次々に獲得。その過程で根本に薫陶を受けたという。

 ソフトバンクでは二軍監督、編成・育成部長を歴任し、現在はGM補佐兼企画調査部アドバイザー。ホークス一筋で半世紀近く球団に貢献してきた男は、いかにして根本を師と仰ぐようになったのか──。野球人としての原点から小川に聞く。

現在ソフトバンクでGM補佐兼企画調査部アドバイザーを務める小川一夫氏現在ソフトバンクでGM補佐兼企画調査部アドバイザーを務める小川一夫氏 この記事に関連する写真を見る

ドラフト5位で南海に入団

「根本さんは日本球界の歴史に残る人物で、僕自身、スカウトとしてそれだけの方に関われたことは、運がよかったと思っています。その原点といえば、かつて南海に石川正二さんというスカウトがいまして、僕にとってはプロに導いてくれた恩人でもある方です。高校時代、『キャッチャーとしてプロに入らないか?』というお誘いを受けたんですね」

 小川は福岡・戸畑商高で4番・投手として活躍し、捕手、三塁手、外野手を兼任。2年時の71年春、3年時の72年春、甲子園に2度出場しているのだが、捕手は2年時の秋に務めたのみ。九州担当スカウトだった石川は、2年秋の小川のプレーを見て高く評価した。全国大会、甲子園でのプレーではなかったあたり、その選手を見る目が興味深い。