2021.08.24

プロ野球はコーチ育成が重要。西武黄金期を築いた根本陸夫は選手を育てること以上にこだわった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第29回
証言者・黒田正宏(3)

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 広岡達朗が監督に就任し、西武は1982年、83年と連続日本一を達成した。相応の戦力が整備された背景には、広岡を招聘した実質GM、根本陸夫の存在があった。その手腕はおもに新人補強とトレードに発揮されたなか、常勝軍団の基盤を固めるうえで不可欠なものとなるのが、ふたりの捕手の獲得だった。

 ひとりは81年ドラフト1位で入団した伊東勤、もうひとりは同年オフに南海(現・ソフトバンク)から移籍したベテランの黒田正宏。盤石の正捕手が不在のチームで黒田は主力となったが、広岡に要請されて若い伊東を育てる役割も担った。南海時代、大捕手の野村克也から受けた指導内容が大いに生かされた。

 結果、黒田自身の出番は減少し、伊東が攻守両面で成長を遂げた84年。正捕手が確立した一方で投打とも中心選手の故障、不振で精彩を欠き、連覇したチームは3位に下降した。すると、参謀格だったバッテリーコーチの森昌彦(祇晶/元・巨人)が広岡と対立。のちに退団して首脳陣の再編を余儀なくされるのだが、黒田はシーズンの終わり間際に広岡に呼ばれている。

西武の新監督就任発表会見を行った(写真左から)根本陸夫、森昌彦、球団社長の戸田博之西武の新監督就任発表会見を行った(写真左から)根本陸夫、森昌彦、球団社長の戸田博之 この記事に関連する写真を見る  84年9月29日のことだ。西宮球場で行なわれる阪急(現・オリックス)とのシーズン最終戦、試合前。宿舎のホテルで面と向かうと、広岡が切り出した。

「来年からおまえ、兼任でバッテリーコーチやってくれんか」

「はっ⁉︎ じゃあ、考えます。相談してきます」

「おまえが相談する人に、了解とって言っとるんだよ」

「え? ちょっと待ってください。誰ですか?」

「いや、おまえ、自分でわかるだろ。誰に相談するんだ」

「あっ、根本さんです」

「その人だ」

 根本が決めたトレードで加入した黒田が、根本の信奉者であることを広岡は把握していた。黒田は広岡からの打診を根本に報告。その場で「一軍のコーチは監督が決めるもんだ。しっかりやっとけ」と命じられたのだが、「でも兼任って難しいですよ」と嘆くと、「それを苦労してやっていくのがおまえやないかい」と返された。ことの次第を黒田に聞く。