根本陸夫が画策したトレードの産物。西武・伊東勤に「野村イズム」が注入された

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第28回
証言者・黒田正宏(2)

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 1981年12月4日、西武と南海(現・ソフトバンク)との間で2対2の交換トレードが成立した。西武は投手の山下律夫、外野手の山村義則を放出し、南海の5番打者だった片平晋作、ベテラン捕手の黒田正宏を獲得。同年限りで西武監督を退任してフロント入り、本腰を入れてチーム編成に取り組む管理部長の根本陸夫は、両選手への期待を込めて言った。

「黒田はインサイドワークもよく、若手捕手陣の刺激になってくれるだろう。片平も代打の切り札として活躍してほしい」

 じつはこのトレードが成立する直前、黒田のもとに根本から電話が入っていた。南海入団3年目、同じ法政大の先輩から根本を紹介されて以来、接点はあったが、突然のことに驚くばかりだった。いったい、何のための連絡だったのか──。"根本信者"の黒田に聞く。

1982年から西武でプレーした黒田正宏氏(写真左)1982年から西武でプレーした黒田正宏氏(写真左)「何やろ......と思ったら、いきなり『黙っとけよ』って言うわけです。『え? どうしたんですか?』と聞いたけど、『黙っとけ。いろいろ考えてんねん』と言われて話は終わりました。で、そのあとに西武から話が来た時、『そういうことか』と思った。あんまり余計な話はするなよ、という意味だったのかなと」

 たとえば、移籍にあたって記者からコメントを求められた際、自分との個人的なつながりなどを話す必要はない、と根本が釘を差した可能性もある。とはいえ、トレードの前に相手球団の関係者が当該選手に連絡することはあり得ない。あくまで根本と黒田の関係性による特例と言えそうだ。

 ただ黒田自身、根本との接点はあっても、なぜ西武から話が来たのか見当がつかなかった。そこでチームの体制をつぶさに見ると、二軍監督に岡田悦哉がいた。根本がクラウンライターの監督になった時に招聘されたのだが、岡田は明治大出身。黒田にとっては姫路南高時代の監督、安藤邦夫が明治大でプレーしていた当時の後輩だった。

「根本さんも僕のこと知っとるけど、岡田さんは高校の時から知っとるからね。たぶん岡田さんが推薦してくれたんだと思う。それで最初、住む家がないから寮に入って、単身赴任で行くつもりやった。そしたら『何や、すぐ帰ろうと思っとんか?』と根本さんに言われて......結局、嫁と娘も大阪から連れて来ることになって、岡田さんが家を探してくれたんです」

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