渡辺久信は根本陸夫の誘いを断り、野村克也のヤクルト入りを決断した (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

無料会員限定記事

 どちらかと言えば、在京であることが決め手だった。ところがいざ入団すると、やはり「野村さん」が決め手だったのだと思い直すことになる。まずキャンプでのミーティングの違いに驚かされた。西武では、前年の相手チームの映像を用意して投手や打者のクセ、攻めるべきポイントなどを研究していく。要は、どう相手を攻略するかがミーティングの中心だった。
 
 対してヤクルトでは、「投手とは何をする者か」「打者とは何か」を野村が語ることから始まる。そのうえで一球ごとに状況を設定し、カウント別に投手と打者の心理を詳細に分析。その膨大なパターンを野村が自ら理路整然と解説し、ホワイトボードに書いていく。選手全員がそのすべてをノートに書き写す。

 長年の経験が蓄積された渡辺自身、打者心理は十分にわかっているつもりだった。それでも、このミーティングには大きな衝撃を受けた。蓄積されたままの野球理論が野村の解説で整理され、理解が深まるのを感じられたのだ。実際、ノートに書き写した内容を読み返すと納得できることばかり。自分がいかに素質と感性だけで野球をやってきたか、思い知らされた。

 迎えた98年のシーズン。渡辺は19試合の登板で1勝5敗1セーブに終わり、オフには現役を引退する。一方で、野村の指導によって自身の野球経験が理論化され、第二の人生につながる財産を得ていた。話を聞きに来る若い投手たちに、成長するために必要と思われることを整理して伝えられるようになっていた。

「指導者になりたいと思ったのが、その時です。以前はまったく頭になかったんですけど、野村さんの下で1年やってみて、指導することの面白さを感じていました。引退を発表したのちにテレビ、ラジオ、新聞からのオファーもありましたが、台湾に行って勉強をする道を選択したんです。これからも人生が長いことを考えたら、そちらのほうがいいかなと思って」

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録よりメンズマガジン会員にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る