2021.02.02

「西武も桑田真澄を狙っていた」
根本陸夫の右腕が語るKKドラフトの真実

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「"伊藤の菊"とは歳も近いし、会えば冗談を言い合うような仲だったけど、仕事にかかったら別でした。向こうもそう思っていただろうし、僕もそう思っていたから。永遠のライバルだ、と思って、張り合っていましたよ。だからその時も、ほしかったけど桑田は獲れないだろう。でも巨人に清原と両獲りだけはさせない、と心に決めていました」

 そうして結局、清原の交渉権を得たわけだが、本人は巨人からの1位指名を確信していたなかでチームメイトの桑田が指名され、大きなショックを受けていた。当時の監督、王貞治が「ウチは清原で行く」と発言し、スポーツ紙の記者経由で王のサイン色紙が届けられていたから、なおさらだった。

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 まして清原自身、プロ入りしなければ社会人の日本生命に入社することが内定していた。ゆえに、交渉難航は必至。そこで、近畿地区の担当スカウトに代わり、当時は大阪に住んでいた浦田が交渉に臨んだ。

 ドラフト直後こそ、清原の両親もショックを口にしていた。だが、しばらくして母・弘子が、「初恋の女にふられたからと言って、いつまでクヨクヨしているの。今夜から毎日900回、腕立て伏せをしなさい。王さんの868本塁打を超えて見返しなさい」と言った。清原自身、この言葉に救われたこともあって西武入団に前向きになり、交渉は金銭面に絞られた。

 全4回となった交渉は、記者が取り巻く自宅ではなく、弘子の弟の家で行なわれた。根本は交渉に参加せず、契約内定の時に限って同席し、マスコミにも対応。ゆえに、表向きには根本が両親から入団合意を取りつけたと見られたが、実際には浦田が完遂していた。ライバルの"伊藤の菊"に桑田を獲られても清原は獲り逃さなかった。その根底には巨人への強い対抗意識があったのだろうか。

「それはそうですよ。巨人の天下が続いて戦力が違ったら、いつまでもパ・リーグが日本一になれないでしょう。だから現場はもちろん、僕たちスカウトもね、いい選手を獲って、常に頂点を狙って、日本一になる、という目標を持って仕事に当たっていました。ただ、それは西武ライオンズに始まったことじゃないんです。西鉄ライオンズでスカウトになった時からなんです」